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トヨタの原点 故豊田章一郎さんが愛した湖西 住民とのつながり随所に

 トヨタ自動車を世界的企業に育て上げ、2月14日に97歳で亡くなった同社名誉会長・豊田章一郎さん。トヨタグループの礎を築き、「発明王」と呼ばれた祖父佐吉の故郷・湖西市に、生前何度も足を運んだ。最期まで本籍を置いていたとみられる豊田佐吉記念館(同市山口)敷地内の母屋には、「豊田章一郎」と書かれた表札が掛かっていた。創業の原点を、胸に刻むかのように―。

豊田佐吉記念館の出入り門のそばに立つ母屋。豊田章一郎さんは度々立ち寄った=湖西市山口
豊田佐吉記念館の出入り門のそばに立つ母屋。豊田章一郎さんは度々立ち寄った=湖西市山口

 佐吉と父喜一郎が生まれた同館の出入り門のそばに立つ木造家屋。同館によると、佐吉が1907年に両親のために建てた母屋だ。章一郎さんは仕事で名古屋と東京を行き来する際などにも立ち寄った。近くの妙立寺(同市吉美)には先祖の墓もあり、夫婦と運転手だけで訪れてプライベートの時間を過ごすこともあった。同館の神先忠事務長(83)は「湖西市の近況を聞かれることは多かった。ここでは柔和な表情で、リラックスした雰囲気だった」と語る。 photo03 豊田佐吉記念館の敷地にある母屋には、「豊田章一郎」と書かれた表札が掛かっていた=2月23日
 自動車部品製造の佐原工業(同市鷲津)で会長を務める佐原功一郎さん(74)は、豊田家と親戚関係に当たる。章一郎さんとは約60年にわたる親交があり「行事が重なっても、湖西での用事を優先していた」と記憶している。章一郎さんが天皇陛下にお会いした際、出身地を聞かれ、「静岡県湖西市です」と答えたという逸話を本人から聞かされた。「笑い話のように語っていたけど、それだけ湖西へのこだわりは強かった」
 佐吉記念館の近所に住む豊田博進さん(97)は、章一郎さんの1学年後輩。20歳ぐらいの時、疎開で来ていた章一郎さんと自転車に乗って湖西市新居町まで徴兵検査を受けに行った。毎年10月30日に同市で開かれる佐吉顕彰祭で会う度、章一郎さんは当時を振り返った。「何種合格だった? わしゃ『甲』だった」。何度話したか分からないほど、2人の間の語り草だった。博進さんの顔を見るといつも「懐かしいな」とこぼした。 photo03 豊田佐吉顕彰祭で佐吉記念館を訪れ、豊田博進さん(左)と会話を楽しむ豊田章一郎さん=2018年10月30日、湖西市山口(住民提供)
 章一郎さんのひつぎを乗せた車が、湖西市内のゆかりの地を巡った2月18日。章一郎さんを送り出そうと自治会の呼びかけで記念館に集まった地元住民の中に、博進さんの姿があった。博進さんは頭を下げ、去りゆく車を静かに見送った。

「故郷」の誇り 好んだイチゴ photo03 石井正巳さんが育てるイチゴを豊田章一郎さんは好んだ=湖西市吉美
 豊田章一郎さんが好んだイチゴが、湖西市で栽培されている。章一郎さんは10年ほど前に豊田佐吉記念館を訪れた際、用意されたイチゴを口にして感激した。「これはうまい。どこのだ」
 つくったのは近所で直売店「いちごのイシイ」を営む農家石井正巳さん(67)。以来、旬の冬を迎えると、世話になっている人への贈答用としても注文を受けるようになった。
 数年前、息子でトヨタ社長の章男さん(66)が来店すると、「章姫と章一郎の字が一緒だから父は気に入っている」と冗談めかして感謝を伝えた。「古里にこんなにおいしいものがあるんだぞ、と誇る章一郎さんの思いに応えないといけない」。石井さんは味にこだわり、毎年つくり続けてきた。
 章一郎さんの死去から数日後、注文が入った。「霊前にお供えするのかもしれない」。用意したのはこれまで通り、食べ頃となった大粒のイチゴだった。

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