3.11伝えたい、忘れたい 犠牲者生んだ防災対策庁舎「保存か、解体か」地域に葛藤【東日本大震災12年 宮城・南三陸ルポ】

 東日本大震災から間もなく12年。静岡新聞社など全国の地方紙が連携し読者参加型の調査報道などに取り組む「ジャーナリズム・オンデマンド(JOD)パートナーシップ」による若手記者対象の記者講座に2月上旬に参加し、津波で800人を超す犠牲を出した宮城県南三陸町を訪れた。被災記憶の伝承を巡って「早く忘れてしまいたい」「後世に伝えたい」と葛藤する被災者の思いに触れた。

記者が視察した防災対策庁舎。保存か解体か現在も議論が続く=2月上旬、宮城県南三陸町
記者が視察した防災対策庁舎。保存か解体か現在も議論が続く=2月上旬、宮城県南三陸町
遺構化を巡り葛藤を語る佐々木真さん(河北新報社提供)
遺構化を巡り葛藤を語る佐々木真さん(河北新報社提供)
記者が視察した防災対策庁舎。保存か解体か現在も議論が続く=2月上旬、宮城県南三陸町
遺構化を巡り葛藤を語る佐々木真さん(河北新報社提供)

 南三陸町のかつての中心部に鉄筋の骨組みがむき出しになった建物がある。町の防災対策庁舎-。住民に避難を呼びかけた職員ら43人がこの庁舎で亡くなった。高さ12メートルの三階部分まで折れ曲がった鉄骨が津波の高さと威力を物語っていた。地元住民の間では、この庁舎を震災遺構として保存するか、解体するかで意見が分かれた。2031年までの県有化が決まり、現在も議論が続いている。
 飲食店経営の佐々木真さん(51)=同町=は知人を同庁舎で亡くした。「壊して早く忘れたいという気持ちがある。だけど、あそこで最後まで町民のために頑張った人がいたことは自分が伝えなきゃいけない」と複雑な心境を語った。
 同町で桃農園を営む大沼ほのかさん(24)は被災当時、小学6年生だった。自宅が流され、一家で北海道に避難した。高校時代に地元農家が後継者不足にある状況を知り、就農を決めた。
 これまで被災経験を口にすることはほとんどなかった。「津波の音や光景を思い出すと気持ちが沈んだ」。しかし、地元住民と一緒に農作業に打ち込むうち、愛する古里と切り離せない記憶を整理し後世に伝えたいと思うようになった。大沼さんは少しずつ言葉を紡ぎ始めている。「この町で同じ悲劇が起こらないよう、震災を経験していない世代にも知ってほしい」

遺構化 熱海土石流でも課題
 被災した場所や建物を遺構化する賛否については、南海トラフ地震を控える本県でも同様に議論となる可能性がある。大規模土石流で被災した熱海市伊豆山地区でも、復興に向けて熱海市が昨年9月に策定した「復興まちづくり計画」で「災害の記憶・経験を後世にわたり継承していく」とし、風化を防ぐ方法を検討する方針がうたわれている。
 静岡大防災総合センターの岩田孝仁特任教授は「資料や映像では教訓としての効果が限られるのに対し、遺構なら災害のスケールを一目で実感できる」と保存の重要性を指摘する。一方、伊豆山については起点に残存する盛り土の処理や被災住民への配慮などの課題を挙げた上で、「本県でも東北の状況に関心を寄せ、多様な視点から議論を深めることが大切だ」と強調した。

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