テーマ : 連載小説 頼朝

第四章 骨肉の争い(62)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】

 朝日[あさひ]御前は頼朝[よりとも]の手を握ると優しくさすってから部屋を出た。今から静[しずか]御前のところに辛[つら]い嘘を吐[つ]きにいくのだ。
 頼朝は独り残った部屋の中で、ふと妻が触れた手に視線を落とした。朝日御前の癖だろうか。今までも幾度か今日のように手をさすってくれた。
 人生を共に歩む相手だが、これまで何度か朝日御前の心が離れていったことがあった。今も決して結ばれたころのように深い絆で繋[つな]がっているとは言い難い。それでも寄せては返す波のように、離れかけては戻ってくる。最後は、頼朝にそっと寄り添ってくれる。
 頼朝は妻の撫[な]でたところをなぞるように自身も撫でた。不思議と温かい気持ちになる。
 館を去る前、さっき静御前の子守歌が聴こえてきたところまで歩み寄ってみたが、今はもう何も聴こえない。朝日御前が赤子の件を話して聞かせているのだろう。
 頼朝は安達邸を出た。
 夕暮れ過ぎ―――。
 赤子の供養のために写経をしているところに、朝日御前が訪ねてきて、人払いをした部屋の中で全てが終わったことを告げた。
 「そうか、終わったか。静はどうしておる」
 「落ち着いております。嘘を信じ、二度と会えずとも生きていてくれさえすればよいと、何度も私に礼を述べる姿が、切のうございました」
 「辛い役目をさせた」
 いいえ、と朝日御前は首を左右に振ったが、罪悪感に苛[さいな]まれているのは一目で知れた。しばらくはさぞ夢見が悪いだろう。
 「そなたに嘘を吐かせてしまったが、その罪は吾[われ]のものだ。新三郎の赤子殺しの罪もこの頼朝のものだ。鎌倉のおおよそ全ての罪は、『鎌倉殿』が背負うゆえ、誰も案ずることはない」
 「いいえ」
 朝日御前はもう一度首を横に振る。
 「共に背負うために三郎様の妻になったのです」
 「共に背負えば地獄に落ちるぞ」
 「貴方のいない極楽より、私には価値ある場所でございます」
 頼朝は少し驚いた。頬が熱くなる。
 「清盛[きよもり]にも会えるな」
 「会いとうございませぬ」
 二人は目を見交わして笑った。
 九月中旬、静御前と母の磯禅師[いそのぜんじ]は、朝日御前と龍[たつ]姫に見送られ、鎌倉を去っていった。
 (秋山香乃/山田ケンジ・画)

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