第四章 骨肉の争い(61)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】

静[しずか]御前の部屋に行き着く前に、頼朝[よりとも]来訪の知らせを受けた朝日[あさひ]御前が姿を現した。
「あと少しだけ……」
充血した目で懇願する朝日御前に、きりがないなと思いつつ、
「日没まで許そう」
頼朝は承諾した。
二人は清経[きよつね]の用意した部屋に入った。
「静は赤子を殺して自害したりせぬだろうな」
頼朝は危惧していることを口にした。
「母である磯禅師[いそのぜんじ]が付いておりますゆえ」
「そうであったな」
「静はさっきまで、『憎い憎い』と泣いておりました。赤子を取り上げようとする新三郎(清経)が憎い、殺せと命じた二品[にほん]が憎い、そして生まれてすぐに死なねばならぬ定めにわが子を突き落とした九郎が憎いと泣くのです。一番憎いのは、愚かな己自身だとも……。最初に母から聞かされる言葉が『憎い』では、なにやらやるせのうございますゆえ、そのように伝えたら、今度は『ごめんなさい、ごめんなさい』と赤子に謝って、後はずっと子守歌を唄[うた]っているのでございますよ」
「……赤子を助けることはできぬが、静には『助ける』とその方から伝えるがよい。頼朝の目を欺[あざむ]き、殺したふうを装い、密[ひそ]かに赤子は別の誰かに託すとな」
朝日御前が息を呑[の]む。
「それは、私に嘘を吐[つ]けということでございますか」
「そうだ。命を助ける条件に、今後一切、会うことは叶わぬとな。赤子はとある人物に身分を伏せ、その家の子として育てさせると偽りを申せ。誰かに利用され、担ぎ上げられることのないよう、決して本当の父母が誰であるか分からぬよう育てるゆえ、遠くで子の幸せを祈るがよいとな」
朝日御前は瞬[まばた]きを忘れた瞳で頼朝をじっと見つめていたが、一度唇を噛[か]んで首を縦に振った。
「静に希望を与えるのですね」
「残酷な希望だがな。知っているか。千鶴[せんつる]丸は生きていると噂[うわさ]が立った。平家への遠慮から殺したことにしたが、実際は知らぬ誰かが隠し育てているのだと……そういう噂だ」
「真[まこと]でございますか」
「ただの噂で真実ではない。死体が揚がったのだ。千鶴丸は確かに死んだ。それでもだ。もしかしたらと信じたくなる。今頃どこかで、自分が頼朝の子とも知らぬまま幸せになって、笑っているのではないかとな。だから静も、というのは間違っているやもしれぬが、せめて」
(秋山香乃/山田ケンジ・画)