第四章 骨肉の争い(58)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】

 御所で朝日[あさひ]御前と共に頼朝[よりとも]は、安達清経[きよつね]の報告を受ける。一番知りたいのは、産まれた子が男か女かということだ。
 「男児でございます」
 頼朝の隣で朝日御前が息を詰めた。
 (上手[うま]くいかぬものよ)
 「由比ケ浜に沈めて殺せ」
 頼朝は淡々と命じた。
 「せめて」と朝日御前が叫ぶような声を上げる。頼朝の横に座していたのを、にじりながら前へと移り、平伏した。
 「どうかせめて少しの間、母子で過ごさせてはいただけませぬか」
 「情が移る。かえって可哀[かわい]そうではないか」
 「いいえ。わが子は一目なりとも見たいもの。抱き上げて、乳を吸わせ、柔らかな頬を撫[な]でたいものでございます。一日とは申しませぬ。せめて数刻なりとも」
 「許す」
 「ありがとうございます」
 「御台[みだい]よ、全てが終わったら知らせてくれ」
 「はい」
 朝日御前と清経が去ると、頼朝は独り御所の庭へ降りた。
 (九郎、お前は今、どこにいるのだ)
 義経[よしつね]の居所は依然として分からない。どこそこに潜んでいるという噂ばかりが入ってくる。
 鞍馬寺にいる、比叡山にいる、仁和寺にいる、あるいは伊勢大神宮に参拝した……など。
噂[うわさ]が立つごとに捜索を試みるが、寺社相手に乱暴に踏み込むような真似はできない。平家が犯した過ちを繰り返さぬよう、慎重にことを進めている。手の者を直[じか]に差し向ける前に、まずは朝廷の正式な機関、検非違使[けびいし]に調査の依頼を出す等、段階を踏んだ。
 こんなことをしているから逃げられるのだ、ということは頼朝も十分承知している。だが、我慢のしどころだ。
 (清盛[きよもり]も義仲[よしなか]も、結局は我慢がきかなかったのだ)
 寺社や朝廷を武力で押さえつけるという、もっとも楽な道を選んだから、武力によって滅びたのだ。鎌倉は、同じ轍[てつ]を踏んではならない。そう己を律しても、実際はもどかしさに苛立[いらだ]ちが増す。
 だが、頼朝は忍の一字を胸に刻み、鎌倉以外の勢力と軋轢[あつれき]を生まぬよう事を進めていく。
 こうして、叔父の源行家[ゆきいえ]が五月に和泉国、義経の婿[むこ]の源有綱[ありつな]は六月に大和国に潜んでいたところを、それぞれ討ち取ることに成功した。
(秋山香乃/山田ケンジ・画)

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