テーマ : 連載小説 頼朝

第四章 骨肉の争い(57)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】

 閏[うるう]七月。静[しずか]御前が産気づいた。夜明けを待たずに陣痛が始まったが、頼朝[よりとも]の目が覚めるのを待って、朝日[あさひ]御前が知らせてきた。

 「左様か」
 うなずきながら、頼朝の中で複雑な気持ちが絡み合う。
 龍[たつ]姫が生気を取り戻したのは、静御前のおかげだ。どれほど嬉[うれ]しく、有り難かったか。だのに、生まれる子の性別如何[いかん]で、己は残酷な現実を突きつけねばならない。
 それに―――と、頼朝は無惨[むざん]に死んだわが子、千鶴[せんつる]丸を思い浮かべる。
 (私は千鶴丸を殺した祐親[すけちか]と同じことをやるのか……あれほど憎しみを募らせたというのに)
 「産まれてくる子が、女であれば良いな」
 ぽろりと頼朝の口から本音が漏れる。
 朝日御前がハッとした顔をして、すぐに困ったように視線を床板に落とした。
 「真に祈るばかりです」
 二人の間に、沈黙が流れた。何か言いたいことがあるのに、逡巡[しゅんじゅん]している様子が朝日御前から伝わってくる。
 聞かずとも、頼朝には分かる。今一度、赤子の命乞いがしたいのだ。頼朝の言い分を理解しているだけに、あえて口にするのはためらわれるが、どうしても諦めきれないというところか。
 身重の静御前の世話を焼いているうちに、情が移ったというのもあるだろう。それ以上に、龍姫のことで深く感謝しているのだ。
 なにより、朝日御前は前々から、頼朝の起こす戦や政変に巻き込まれて立ちいかなくなった女たちに、手を差し伸べるようなところがあった。
 それは、頼朝の背負う罪を、わずかなりとも軽くしたいとの気持ちの表れであろうか。それとも、持って生まれた性質なのか。おそらく両方だろう。
 (何[いず]れにせよ、優しい女だ)
 さっき、頼朝が本当は赤ん坊を殺したくないという胸の内を明かしたからこそ、いっそう朝日御前は命乞いがやりにくくなったのだ。頼朝がただ非情なだけなら、いつもの気性の激しさから幾らでもきっぱりと意見を述べたに違いない。
 こういう時に情けを振りかざすような女でなくて良かったと、頼朝はしみじみ思った。
 この後、二人で朝餉[あさげ]を摂っていると、静御前を預かっている雑色[ぞうしき]の安達新三郎清経[きよつね]が訪ねてきた。子が、産まれたのだ。
 (秋山香乃/山田ケンジ・画) 

いい茶0

連載小説 頼朝の記事一覧

他の追っかけを読む