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大自在(1月20日)家康の「着初めの鎧」

 全面開館した静岡市歴史博物館に展示されている「紅糸威腹巻[くれないいとおどしはらまき]」は、徳川家康が駿府で元服した際に今川義元が作らせたと伝わる。数えで14歳頃の家康が、初めて着用したよろいだ。現代なら中学1年生ぐらいか。
 来場者からは「小さいねえ」と声が上がっていた。高さ62・5センチ。胴回りも細い。膝上から首の下までを覆う形状から勝手に推測すると、当時の家康の身長は140センチ前後ではないか。
 時代が違うとはいえ、赤いよろいに身を包んだ姿は、いかにも幼く見えただろう。義元が織田信長に討ち取られる「桶狭間の戦い」の約5年前である。
 2回目を終えた大河ドラマ「どうする家康」で目を奪われたのは、松本潤さん演じる家康が関節技を決める場面だ。第1回は今川氏真に、第2回では信長に。いずれも自分の背中が地面についた態勢から、相手の片腕を両足で捉えた。格闘技をかじった人なら、ブラジリアン柔術の「オモプラッタ」という技を思い出したはずだ。
 合戦では前線に出たがるタイプだったという家康は、格闘を含めた「武」に秀でていたのか。博物館の学芸員によると、当時は弓矢とやりが主力だった。接近戦の実力を検証する史料は残っていないという。
 大河ドラマの家康はこれまで、寝技の強さは示したものの高圧的な信長に震撼[しんかん]し、色を失うばかりだ。だが、後年に生きる私たちは彼の天下統一を知っている。博物館の展示では西欧の各国から「皇帝[エンペラー]」と呼称された様子も語られる。小ぶりな「着初めの鎧[よろい]」は、人の可能性に限界はないと教えている。

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