テーマ : 連載小説 頼朝

第四章 骨肉の争い(54)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】

 ―――一方、鎌倉の鶴岡八幡宮では、静[しずか]御前が唄[うた]いながら舞い踊る。
  よし野山 
  みねのしら雪
  ふみ分けて
  いりにし人の
  あとぞ恋ひしき
 夏だというのに、舞台の上は瞬く間に冬の雪山に姿を変え、見物の人々は知らぬうちに身震いをする。
 静御前と別れて去っていく義経[よしつね]の背を、誰もが見たような気がしたし、恋しい人を追いかけたくても見送るしかなかった女の哀[かな]しみが、どっと胸に押し寄せてくる。
 身を切られるような別れは、この動乱の世を生きる者のほとんどが、経験していた。静御前のやるせなさが、己のかつての感情と重なり、すすり泣く者も随所にいる。
 朝日[あさひ]御前も、かつて頼朝[よりとも]を戦場に見送った。どんなに付いていきたかったことか。もう会えないかもしれない……そんなことはない。きっと、あの人は戻ってくる……。不安の中、懸命に神に祈った。
 (どうかご 無事で……そう、無事でありさえすれば他には何も望まない。そうあの時は思っていた)
 すっかり忘れていた感情が蘇[よみがえ]る。
 (それなのに、いつから私は、愛した人に寄り添えなくなっていたのだろう……)
 ただの田舎の豪族の娘が、いつしか「御台[みだい]様」と呼ばれるようになり、あまりに生活が一変し、心が追いつかなかった。権力者の伴侶として幾つもの非情な場面に向き合う中、常に御家人たちの目に晒[さら]され、平然とした振りをするので精いっぱいだった。愛娘の心が壊れ、どうしていいか分からなかった。
 (けれど、三郎様と離れ離れになって走湯[そうとう]権現様の許[もと]で過ごした時、どれほど愛[いと]おしく想っていたか)
 静御前の舞いに、当時の感情の全てが蘇ってくる。
  しづやしづ 
  しづのをだまき
  くり返し
  昔を今に
  なすよしもがな
 私の愛しいあの人が称[たた]えられ栄えていたあの日々が再び舞い戻ればどんなにか―――そういう願いが込められた歌を、静御前が高らかに唄う。歌詞に乗って、朝日御前の心もいっそう過去に飛ばされていく。

(秋山香乃/山田ケンジ・画)

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