家康、磐田・中泉御殿21回訪問していた 市歴史文書館が調査、関ケ原や大坂の陣軍事拠点

 戦国末期から江戸初期に現在の磐田市のJR磐田駅南側にあった中泉御殿を、徳川家康が少なくとも21回は訪れていたことが、16日までの市歴史文書館の調査で分かった。家康が晩年にタカ狩りで度々滞在したほか、関ケ原の戦いや大坂の陣の前に作戦を練った軍事拠点にもなった御殿。同市岡の同館では3月10日まで、家康と御殿のゆかりを資料や出土品とともに紹介する企画展を開いている。

中泉御殿薬医門の柱の根元部分などを展示している企画展=磐田市岡の市歴史文書館
中泉御殿薬医門の柱の根元部分などを展示している企画展=磐田市岡の市歴史文書館

 大河ドラマ「どうする家康」に合わせた企画展に向け、国立公文書館が保存する「駿府記」「徳川実紀」などの文書6点を改めて読み解き、家康が1588~1615年に御殿を計21回訪問した記録を確認した。御館の近くに堀や土塁が築かれていたことから、同館は「中泉城と言っていいほどの機能を持っていた」と指摘する。
 関ケ原の戦い前には、3万の軍勢が宿営・野営したことから、付近の土地が「屯ケ岡(たむろがおか)」と呼ばれていた。徳川政権が安定するにつれて、家康はタカ狩りで御殿を利用することが増えたという。
 企画展では、過去の発掘調査で出土した御殿薬医門の柱の根元部分や天目茶碗(ちゃわん)などを展示し、天下人にのし上がっていく家康と御殿の歴史を紹介している。明治時代の中泉地区の地割りを示した公図も初公開。旧幕臣に分け与えられた御殿跡の様子がうかがえる。
 土・日曜、祝日休館。2月11、23日、3月5日は特別開館し、市指定文化財「成瀬家文書」のうち、徳川家に関わる書状を公開する。問い合わせは同館<電0538(66)9112>へ。

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