第四章 骨肉の争い(51)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】

文治二(一一八六)年四月八日―――。静御[しずか]前による一世一代の舞いは、鶴岡八幡宮にて八幡大菩薩[ぼさつ]へ奉納された。
満開の藤の濃紫を背に、白拍子[しらびょうし]の衣装を着た静御前が、設[しつら]えてある舞台へと上がる。水干[すいかん]も小袖も長袴も卯の花色一色の中、懸緒[かけお]と袖括[そでくくり]の緒は純白の絹をあしらっている。このため、静御前が動くたびに光が跳ね、銀色に煌[きら]めいた。扇は目を刺す緋[ひ]。烏帽子[えぼし]は髪色と同じだ。
頼朝[よりとも]と朝日[あさひ]御前は、子らと共に御簾[みす]の中から眩[まばゆ]い舞姫の姿を見物する。嫡男の六歳になる万寿[まんじゅ]の周りには、この日も大勢の乳母[めのと]が取り囲み、どことなく感じる距離が朝日御前の心に暗い影を落とした。一方、御簾越しとはいえ二年ぶりに人前に姿を現した龍[たつ]姫は、母の横に少し下がる形で座し、乳母らは後方に控えさせた。
舞台に上がった静御前が、頼朝と八幡大菩薩の方に平伏してから立ち上がる。はらはらと紫の花びらが舞う中、ただそれだけの動きがすでに幽玄で、舞いを観に来た人々は声にならない溜息[ためいき]を洩[も]らした。
(この世のものではないような……)
取り調べを受けているときの静御前は、ただ顔立ちの良い娘に過ぎなかった。舞台に立つとこれほどまでに変わるのかと、朝日御前は目を瞠[みは]る。
「なんて美しい姿」
朝日御前は嘆息したが、頼朝の横顔は険しいままだ。頼朝の目には、静御前は希代の舞姫などではなく、あくまで義経[よしつね]の妾[しょう]としてしか映っていないのだろう。
朝日御前は頼朝の手をそっと握った。驚いて顔を向けた夫に微笑を返す。
「日本一の舞姫だそうですよ」
「楽しみか」
「はい。とても」
「それは良かった」
音楽が奏でられ始める。
鼓は都帰りの工藤祐経[すけつね]が、銅拍子は鎌倉一美麗な男、畠山重忠[しげただ]が務める。
その音色に合わせ、天上から降り注ぐが如き静御前の唄声[うたごえ]が、辺りを支配する。
よし野山
みねのしら雪
スッと舞姫の扇を持たぬ手が空を指したかと思うと、掌[てのひら]をチラチラと返しつつ下げていく。その動きに合わせ、袖括の緒が光の粒を生み、まるで本当に雪が降っているかのようだ。みな、思わず空を見上げた。
(秋山香乃・作/山田ケンジ・画)