第四章 骨肉の争い(49)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】

龍[たつ]姫の突然の出現に、静[しずか]御前は驚きと不安の入り混じった顔を、衝立[ついたて]の方角に向けた。頼朝[よりとも]は久しぶりに龍姫を見て、思わず、と言わんばかりに御簾[みす]から姿を現した。
龍姫は、頼朝を刃物のような目で見つめる。
いったい何をするつもりなのかと、朝日[あさひ]御前は、はらはらした。
龍姫が頼朝の前に進み出て、平伏する。
「鎌倉殿に申し上げます」
「許す。面を上げよ」
頼朝の声は、わずかに上ずっている。
龍姫が顔を上げ、口を開いた。
「静御前は体がもう限界でございましょう。子を宿した女に無理をさせて死なすことになれば、鎌倉の名が悪名として歴史に刻まれます。今後日本国に生を受ける全ての女を敵に回すおつもりですか」
「……配慮が足りなかったようだ。今日はここまでといたそう」
「静御前は嘘[うそ]を申しておりませぬ。知らぬと言葉短く答えているのがその証拠」
先刻、静御前の長い台詞[せりふ]を嘘の証しと頼朝が指摘したことを逆手に取った言葉に、なんという娘だろうと朝日御前は感嘆した。頼朝も同じだ。目の端に涙が滲[にじ]んでいる。
「うむ。そうであるな」
「二品[にほん]にお願いがございます。静御前は日本一の舞いの名手なのだとか。鶴岡八幡宮にて舞いを奉納し、それが見事であったなら、褒美[ほうび]を取らせてくださりませ」
「構わぬが」
頼朝は承知したが、当の静御前が首を横に振る。
「身重で舞いは無理でございます」
その声が聴こえぬかのように、龍姫は話を続けた。
「褒美は、お腹[なか]の子の命というわけには参りませぬか」
その場の誰もがハッとなった。二年前に聞き入れられなかった命乞いを、龍姫は形を変えて行っているのだ。頼朝は試されている。再び突っぱねるか、今度こそ娘の願いを聞き届けるか。
朝日御前は祈るような気持ちで頼朝を見つめた。一人の人間としてではなく、鎌倉殿として生きる頼朝が、今更情にほだされるわけがない。うなずけば奇跡である。
(奇跡が起こってほしい。どれほどご自身のお心を偽っても、貴方は生身の人間なのだから。流人時代はお優しい方だった。今は、どれほど無理をしていることか。このままではいつか、壊れておしまいでしょうに)
頼朝はこの分水嶺[れい]をどちらに進むのか。
(秋山香乃・作/山田ケンジ・画)