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二俣、鳥羽山城跡見やすく 徳川と武田攻防の舞台 浜松市が整備へ

 浜松市は2023年度から、戦国時代に徳川家康と武田信玄、勝頼父子らの攻防の舞台となった同市天竜区の国指定史跡、二俣、鳥羽山の両城跡について、整備に向けた事業を本格化させる。遺構の見やすさに重点を置き、貴重な歴史資源の適切な保存と魅力向上の両立を目指す。

整備完了後の二俣城のイメージ図(浜松市提供)
整備完了後の二俣城のイメージ図(浜松市提供)
整備完了後の鳥羽山城のイメージ図(浜松市提供)
整備完了後の鳥羽山城のイメージ図(浜松市提供)
二俣城跡と鳥羽山城跡
二俣城跡と鳥羽山城跡
整備完了後の二俣城のイメージ図(浜松市提供)
整備完了後の鳥羽山城のイメージ図(浜松市提供)
二俣城跡と鳥羽山城跡

 整備では城内に生い茂る樹木を整理して眺望を確保し、石垣や曲輪(くるわ)、堀の跡が確認できるようにする。建築物は復元しないが、二俣城の本丸入り口にあった中仕切門跡は門柱の礎石の位置を示す形で展示するなど、来城者が分かりやすく城の特徴を学べるように工夫する。
 整備は29年度までの完了が目標で、2期に分けて段階的に進める。23年度は実施設計に向けた測量と発掘調査や石垣の安定性の確認を行い、24年度以降、工事に本格着手する。
 両城跡の整備は、市が21年7月に国から認定を受けた「市文化財保存活用地域計画」で重点事業の一つに位置づけている。徳川家康が主人公の大河ドラマの放送で、市内の徳川氏ゆかりの史跡は注目度が高まることが予想される。このため、放送後も天竜区の誘客拠点としての活用に期待がかかる。

 二俣城と鳥羽山城 二俣城は桶狭間の戦い(1560年)以降に築城が始まったとされ、1572~75年には徳川氏と武田氏が攻防を繰り広げた。家康の嫡子松平信康が自刃した場所としても知られる。鳥羽山城の正確な築城時期は不明だが、攻防戦の際に徳川方の本陣となった。両城は豊臣秀吉の家臣だった堀尾氏が1600年まで領有し、二俣城の天守台などを構築したとみられる。中世的な土づくりの山城に、近世的な石垣が導入された初期の姿を良好に保っている。

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