第四章 骨肉の争い(47)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】

頼朝[よりとも]は「そんな場所に龍[たつ]姫を連れ出して大丈夫なのか」と危惧[きぐ]したが、大きく反対はしなかった。
つい十日ほど前に、侍女に手を付けて宿った子が生まれたばかりだったからだ。
朝日[あさひ]御前の身籠[みごも]った間に、頼朝はまた別の女に手を付けた。同じ過ちを繰り返したばつの悪さから、しばらく朝日御前に強く出られない。今度は、子まで成している。しかも、男児。仮に万寿[まんじゅ]に何かあった時は、別の女が産んだ息子が頼朝の後を継ぐのかと思うと、朝日御前も平静ではいられない。
朝日御前を憚[はばか]って、その子は幼名も与えられていないらしい。出産の儀も行われず、朝日御前を恐れて乳母[めのと]のなり手もいないという。
(私が命じたわけでも、ましてや母子に噛[か]み付いたわけでもないのに、人のせいにして。御子が日陰者になるのは、みな三郎様の覚悟が足りぬからでしょう)
と朝日御前は腹立たしい。
(嫡妻が怖いなら、他の女には手を出さない。手をお出しになるなら、出来た子とその母は決然と守る……どうしてこんな簡単なことができないのか)
朝日御前はここ最近ずっと頼朝に怒りを覚えていたが、そのせいで願いがあっさり叶えられたことに苦笑した。
朝日御前と龍姫は、問注所の一室の側面に仮置きした、簾[すだれ]の掛かる衝立[ついたて]に身を隠し、静[しずか]御前の尋問に立ち会った。頼朝も龍姫を心配してか、上座の御簾[みす]の中に座す。
静御前は逆らうことなく、右筆[ゆうひつ]の藤原俊兼[としかね]から尋ねられるまま、素直に答えていく。
義経[よしつね]らと共に都を出たこと。難破して、二百の兵がばらばらになったこと。付いてきた女たちは、ここでみな都へ戻ったこと。自分だけは義経に付いて、吉野山へ入ったこと。
雲行きが変わったのは、次の問いからだ。
「北の方(郷[さと]御前)はいかがいたした」
俊兼が訊[たず]ねる。
「分かりませぬ」
「分からぬはずはなかろう。北の方であるぞ。本来なら、最後まで予州(義経)に付き添うのは、その方ではなく北の方であろう」
「そうではございますが、伊予守[いよのかみ]様(義経)は私だけを連れていきました。きっと、お方様には雪山は難しいと思うたのでしょう。実際、白拍子[しらびょうし]として足腰を鍛えております私でも、無理でございました」
「嘘だな」
口を挟んだのは頼朝だ。
(秋山香乃・作/山田ケンジ・画)