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潤沢予算で古代を演出 80年代発掘の吉野ケ里【至宝 登呂遺跡発見80年②】

 国の特別史跡に指定されている弥生時代の遺跡は登呂遺跡(静岡市駿河区)を含めて全国に3カ所。そのうちの一つ、佐賀県の吉野ケ里(よしのがり)遺跡は集落を防御する環濠(かんごう)や戦いの形跡が確認され、登呂遺跡に代表される「平和な稲作文化」という弥生像を揺さぶった。各教科書会社も教科書に掲載し、いわば登呂遺跡のライバルともいえる存在だ。

復元された物見やぐらや祭殿を見学する駿河総合高の生徒ら=昨年12月、佐賀県吉野ケ里町の吉野ケ里歴史公園
復元された物見やぐらや祭殿を見学する駿河総合高の生徒ら=昨年12月、佐賀県吉野ケ里町の吉野ケ里歴史公園
佐賀県 吉野ケ里歴史公園
佐賀県 吉野ケ里歴史公園
復元された物見やぐらや祭殿を見学する駿河総合高の生徒ら=昨年12月、佐賀県吉野ケ里町の吉野ケ里歴史公園
佐賀県 吉野ケ里歴史公園

 「広い! 登呂遺跡の何倍ですか」-。2022年12月、修学旅行で訪れた静岡市駿河区の駿河総合高の生徒が驚嘆した。日本史の授業で吉野ケ里遺跡を学んだこともあって、九州への旅に組み入れた。2年の久保田海央さん(17)は「復元した建物内にあった人の模型の展示や、デジタル技術を活用した解説が分かりやすかった」と語った。2日前には同市葵区の静岡東高も修学旅行で訪れた。
 1980年代に発掘調査が実施された吉野ケ里遺跡は、92年の閣議決定により吉野ケ里歴史公園として国と佐賀県が整備した。コンセプトは「弥生人の声が聞こえる」。国営公園区域と県立公園区域で構成され、総面積は登呂公園の約18倍の117ヘクタールに上る。
 国土交通省によると、新型コロナウイルス禍前の来園者は年間約70万人で登呂の約3倍。2018年度は全国の小中高校計720校が教育目的で訪問し、静岡県からも計12校が訪れた。
 古代ファンに限らず人々を引きつける要因は何か。「国営海の中道海浜公園」事務所の江口慎治副所長(54)は「来園者がいつでも弥生時代の暮らしを体感できるよう維持している」と胸を張る。
 広大な敷地には物見やぐらや祭殿、歴代の王が眠るとされる墳丘墓、吉野ケ里を特徴付ける環濠などが復元されている。現地を訪れると弥生時代に時間旅行した感覚が味わえ、弥生時代の歴史観を変えた「クニ」の存在も伝わってくる。敷地内のレストランでは弥生土器を題材にした器で食事を提供するなど、おもてなしに気を配る様子もうかがえる。
 佐賀県は22年度、10年ぶりに発掘調査を再開した。発掘の様子を公開するだけでなく、実際に発掘できる体験会も実施した。同県文化課文化財保護室の細川金也副室長(55)は「発掘の成果を展示に反映させ、新たな体験や見学ができるようにしたい」と意気込む。
 国と同県は吉野ケ里遺跡の維持管理や運営に毎年、計約8億8千万円弱を投じる。6千万円弱(21年度)の登呂遺跡に比べ潤沢な予算を背景に、魅力アップに磨きをかける。

 <メモ>ムラからクニの中心集落へと発展していく過程を理解できる吉野ケ里遺跡は、中国の史書「魏志倭人伝」に記された邪馬台国をほうふつさせるとして全国的に注目を集めた。工業団地の造成に伴って1986年から発掘調査が行われ、墳丘墓に埋葬されていた巨大な甕棺(かめかん)から銅剣や管玉が出土したことがきっかけとなり、91年に特別史跡に指定された。調査成果をもとに、最も栄えた弥生時代後期を復元、整備している。
 

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