Q&A 徳川家康の人生最大の敗戦「三方ケ原の戦い」ってどんな戦? 背景・伝承は 浜松市博物館の学芸員さんに聞きました

元亀三年十二月味方ヶ原戦争之図(浜松市博物館所蔵)
元亀三年十二月味方ヶ原戦争之図(浜松市博物館所蔵)
酒井忠次時鼓打之図 (浜松市博物館所蔵)
酒井忠次時鼓打之図 (浜松市博物館所蔵)
元亀三年十二月味方ヶ原戦争之図(浜松市博物館所蔵)
酒井忠次時鼓打之図 (浜松市博物館所蔵)

 大河ドラマ「どうする家康」(主演・松本潤さん)の放送を機に、改めて注目されている徳川家康。天下人となるまでに数々の戦を経験しました。その中でも「人生最大の負け戦」とされるのが、現在の浜松市を舞台にした「三方ケ原の戦い(三方原の戦、みかたがはらのたたかい)」です。一体どんな戦いだったのか。浜松市博物館の学芸員・橋本充悠さん(37)に聞きました。

鈴木美晴

Q いつ、どこで起きた戦いですか?

橋本充悠さん

元亀3年(1572年)旧暦の12月22日、三方ケ原(現・浜松市)で起きた戦いです。当時浜松城を居城としていた徳川家康と、甲斐(現・山梨県)の武田信玄が対決しました。

戦いは申(さる)の刻(午後4時頃)に始まりました。 戦が夕方に始まるのは珍しいことでした。徳川軍が偵察していたところ、思いがけず開戦してしまったと伝えている史料もあります。2時間ほどで決着がついたとされ、武田軍が勝利しました。
 

鈴木美晴

Q なぜ三方ケ原が戦場となったのですか?

橋本充悠さん

三方ケ原の戦いを記述した同時代の資料は多く残されておらず、具体的にどこが戦場だったのか現在もはっきりとは分かっていません。

武田信玄の進軍ルートも、これまでは信濃から南進してきたと考えられていましたが、近年の研究では駿河から西進したという説も提起されています。信玄は浜松城を攻めるより、家康を三方ケ原におびき出して戦った方が有利と考え、浜松城を素通りしたという説もあります。

鈴木美晴

Q 「人生最大の負け戦」と言われています。どのくらいの被害があったのですか?

橋本充悠さん

軍隊の人数ははっきりとはわかりませんが、徳川家康軍と織田信長の援軍は1万余、武田軍は約2万5千人だったともされています。徳川軍は総崩れとなり、家康は浜松城に逃げ帰りました。

この戦いで、敗走の最後尾で追っ手を防ぐ「殿(しんがり)」隊を務めた本多忠真(本多忠勝の叔父)、家康の身代わりとなった夏目吉信をはじめ、多くの家臣を失いました。

鈴木美晴

Q 武田信玄はなぜ、徳川家康にとどめを刺さなかったのでしょうか?

橋本充悠さん

武田信玄の目的は徳川を滅ぼすことではなく、武田と織田・徳川との間の領地の境目の問題解決だったと考えられています。

また、伝承として、「酒井の太鼓」が挙げられます。浜松城に逃げ帰った家康は、後に帰還する家臣のために浜松城の門を開けたままにしました。そして城を守っていた酒井忠次は物見櫓で大太鼓を打ち鳴らしました。追撃していた武田軍は、この太鼓の音を聞き、何か奇策があるのではないかと思って、浜松城に攻め込むのをやめたという内容です。

鈴木美晴

Q そもそも、なぜ「三方ケ原の戦い」が起こったのですか?

橋本充悠さん

織田信長、徳川家康、武田信玄などの勢力間の政治状況が背景にあったと考えられます。遠江はもともと今川義元が治めていました。しかし、織田と今川が対決した「桶狭間の戦い」で義元が討ち死にしました。今川の弱体化を受けて武田と徳川の間で、今川の領地の分割の密約が結ばれました。これを受けて武田が駿河に、徳川が遠江に侵攻しました。

しかし、三方ケ原の戦いにいたるまでに、徳川と上杉の間で結ばれた同盟や、懸川城(掛川城)に籠城した今川氏真の処遇などをめぐり、徳川と武田の関係が悪化していました。

鈴木美晴

Q 家康が一矢報いた戦いとされる「犀ケ崖(さいががけ)」にまつわる伝承とは、どんな伝承ですか?

橋本充悠さん

三方ケ原の戦いで大敗した徳川軍が浜松城へ退却した夜、浜松城の北約1キロにある断崖「犀ケ崖」で、野営した武田軍を急襲したとされています。武田軍は人馬ともに谷底に落ちて、大きな被害が出たと言われています。

「布橋(ぬのはし)」の伝承によると、徳川軍が犀ケ崖に布を掛け、まるで橋が架かっているように見せかけました。そこへ武田軍が次々と崖から落下したと言われています。

鈴木美晴

Q 他にも言い伝えはありますか?

橋本充悠さん

また、この奇襲後、崖の下からうめき声が聞こえるようになったり、悪疫が流行したりしたという言い伝えもあります。

犀ケ崖の霊を慰めるため、家康は僧や百姓らに鐘や太鼓を鳴らして念仏を唱えさせました。その後、平穏が戻ったとされています。これが現在、浜松市の無形民俗文化財に指定されている「遠州大念仏」の始まりとされています。

答えてくれた人
浜松市博物館の学芸員・橋本充悠(はしもと・みちはる)さん。1985年、浜松市生まれ。近世史が専門。

浜松市博物館
浜松城に在城していた徳川家康が、その後の浜松においてどのようなイメージでとらえられてきたかを紹介する テーマ展「家康伝承と浜松」を2023年9月24日まで開催している。

家康がよく分かる 正室・側室/人柄/戦い
▶特設サイト「静岡人必読 今さら聞けない 徳川家康」

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