第四章 骨肉の争い(32)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】

頼朝[よりとも]の使者として義経[よしつね]の住まう堀川邸を訪ねてきたのは、二十五歳の青年、梶原景季[かげすえ]である。
景時[かげとき]の嫡男で、源平合戦では平重衡[しげひら]を捕えるなど華々しい活躍を見せただけでなく、箙[えびら]に梅の花を挿すような風流な一面も持ち合わせている。雅なことが好きな朝廷でも人気のある御家人だ。
このため、壇ノ浦の戦いの凱旋後に後白河[ごしらかわ]法皇から官位を授けられ、頼朝の怒りを買った一人でもある。今はすでに赦[ゆる]されている。
義経は戦の最中、梶原景時と激しくぶつかり、憎まれた。景時はその時の様子を逐一頼朝に報告したという。頼朝は義経の言には耳を傾けなかったが、景時の話は聞いた。そして、官位の一件では、未[いま]だ赦されぬ者が多い中、景季はすでに頼朝の傍に仕えている。
梶原父子への頼朝の寵[ちょう]がどれほど深いかが知れ、義経の胸の奥が妬心[としん]で疼[うず]いた。
その景季が、頼朝の命令を伝える役目を担って訪ねてきたのである。折あしく、義経はひどい熱病で枕が上がらない。日を改めてもらい、三日後に対面した。
義経の体調はまだ悪く、背を伸ばして座ることさえ苦しかった。だからといって、頼朝の使いを二度も追い返すわけにいかない。申し訳ないと思いながらも、脇息に寄り掛かるというよりはしがみ付くような態で、会った。
景季は義経の状態に驚きつつも、頼朝の命を淡々と伝える。
曰[いわ]く、源行家[ゆきいえ]を誅戮[ちゅうりく]せよと。
義経は息を呑[の]んだ。叔父を殺すことが自身の犯した罪の禊[みそぎ]となるというのか。
(吾[われ]は試されている。おそらく、これが最後の機会となるのだろう)
兄の許[もと]で仕えたいなら、迷ってはならない。今、この瞬間の逡巡[しゅんじゅん]さえ、景季によって頼朝に告げられるのだ。
義経は喜んで引き受けるべきだった。だのに、迷いが生じる。馬鹿な考えが浮かぶのは、高熱のせいだろうか。
許されたとて、またいつ命を脅かされるかしれぬ日々。一生、顔色を窺[うかが]いながら、何度となく今度のように試され、自分が生き延びるために人の命を奪い、果たして死ぬときに胸が張れるのか。
(そんな日々をこの先何十年も過ごすなど、生き地獄ではないのか)
いや、と義経は考え直す。
(少しは利口になれ)
妻や側室、これから生まれる子、義経を信じて従う郎党たち―――守らねばならぬ人たちの顔が浮かぶ。
(秋山香乃・作/山田ケンジ・画)