第四章 骨肉の争い(30)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】

八月の除目[じもく]で義経[よしつね]は受領伊予守[ずりょういよのかみ]に任じられた。これは四月に頼朝[よりとも]が朝廷に申請していたものが叶[かな]えられた結果である。
義経から涙が零[こぼ]れ落ちた。頼朝には義経の働きを評価する気があったのだ。
今となっては伊予守に推薦したことを頼朝は後悔しているが、いったん朝廷に申請したものを簡単に取り消せなかったため、そのまま補されたとのことだった。それでも、一度は評価されたのだという事実が、義経には嬉[うれ]しかった。
(それを、吾[われ]を殺したいほどに怒らせてしまった……)
義経は伊予守補任で気付いた。頼朝の本心は、できれば血を分けた兄弟に腹心となってもらい、目指す武士の国を造る手助けをしてほしかったのだ。ただ御家人たちの目もあるから、あからさまに贔屓[ひいき]はできない。義経が、相応の誰もが認めざるを得ぬ働きを示すのを、待っていたのだろう。
その働きは、戦場で勇敢に敵を打ち砕くことではない。いかに軍勢を率い、全体に目を届かせ、派兵された者たちに不満を抱かせずに上手[うま]く用いるか、用兵の技量が求められていたのだ。だのに、義経は御家人たちに嫌われ過ぎた。壇ノ浦の戦いの後、義経への苦情が、頼朝の許[もと]へ殺到したという。
たとえそれが誹謗[ひぼう]中傷の類[たぐ]いだったとしても、そんなことを配下の者に口にされる時点で、役立たずのいらぬ存在に違いない。
(今なら分かる。吾が愚かだったのだ。戦は勝てば良いと思っていた。強いことが正義だと信じていた。違う。戦もまた、政[まつりごと]だったのだ)
勝つことが大事なのではなく、どう勝つか、何を得るか、そして何[いず]れの形で幕を下ろすかが、後始末含め、戦には肝要なのだ。
頼朝との間に出来た溝が、埋まる日は来るのだろうか。もう一度、機会が欲しい。
そう願う義経だったが、後白河[ごしらかわ]法皇には兄弟間に亀裂の入った今の状況が望ましいようだ。義仲[よしなか]も倒れ、平家も滅亡し、もう朝廷を脅かすほどの強い武士団は必要ない。だから、今度は頼朝に義経をぶつけ、両方の力を殺[そ]いでしまいたい―――そんな後白河法皇の腹の中が、政を意識して改めて全ての物事を見直した義経には、ようやく読めてき始めた。
ずっと、院には寵愛[ちょうあい]されていると思っていた。
(吾は、鎌倉を揺さぶるための駒として、いいように操られていただけだ)
呪[のろ]わしいことに、最も慕った兄を傷付ける刃となっていたのである。
(秋山香乃・作/山田ケンジ・画)