第四章 骨肉の争い(29)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】

義経[よしつね]は、追い詰められ岐路に立っていた。
鎌倉から京へ戻った義経を待ち構えていたのは、頼朝[よりとも]から与えられた二十四か所の所領の没収だった。一から出直せという意味だろうか。それなら未[いま]だ首の皮一枚で、兄とは繋[つな]がっているのだ。
七月に入って、京とその近隣は地震に見舞われた。被害は殊の外ひどく、山が崩れて川や谷が埋まり、地面は裂けて水が諸所から噴き上がった。海から波が迫り、海岸沿いの村々をあっという間に呑[の]み込んだ。
多くの家々や寺社も倒壊し、都は瓦礫[がれき]の山と化した。その下敷きでたくさんの者が命を失った。
都の誰もが平家の怨霊[おんりょう]の仕業を疑い、滅ぼすべきではなかったのだという恐怖に囚[とら]われた。だが、義経の住まう館だけはびくともしなかったのだ。
何事もなかったかのように佇[たたず]む堀川邸に、
「平家の呪いなら、一番に倒れそうな堀川邸が無事とはどういうことだ」
「やはり廷尉[ていい](義経)は普通のお人ではないのだ」
「鬼神ではないのか」
人々が畏怖の念を抱く。
義経は平家を倒した英雄として、四月に凱旋[がいせん]して後、京ではずっと称えられている。だのに、鎌倉では冷たくあしらわれたと噂[うわさ]が立つにつれ、都人の間で頼朝の狭量さが失笑を買った。きっと、惜しみない賞賛を浴びる義経に嫉妬[しっと]しているのだろうと。
(兄上はそんな方ではない)
義経は歯がゆく思ったが、どれほど訂正しても「なんと心の清きお人だ」と自分が褒められて終わる。ほとほと困っていたところでこの地震だ。義経の評判がいっそう上がり、
「鎌倉殿が廷尉であれば良かったのに」とか、「義経がいれば頼朝はもう必要ない」とか、頼むからやめてくれと叫び出したくなるような言葉が囁[ささや]かれ始めた。
この状況も、きっとすぐに鎌倉に伝えられるのだ。もうわずかなことでも粛清されかねない崖っぷちに立つ義経にしてみれば、恐々とする思いである。
八月、地震を鎮める願いを込めて、元暦は文治へと改元された。「文治」という元号には、もう戦いは終わったのだ、ここから先は道徳や御仏の教えや法によって国を治めるのだという朝廷の意思が込められている。さらに、強くなり過ぎた武士の国「鎌倉」を退けたいという、潜在的な希望さえ含まれる。
義経は、対鎌倉の旗印のように、朝廷によって持ち上げられ始めた。
(秋山香乃・作/山田ケンジ・画)