第四章 骨肉の争い(25)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】

七月二日。鎌倉。
頼朝[よりとも]は、京から戻ってきた橘公長[たちばなのきみなが]から、処刑された宗盛[むねもり]父子と重衡[しげひら]の最期を聞いた。平家惣領宗盛と嫡男清宗[きよむね]の死は、真に平家が終焉を迎えたことを意味する。
頼朝は、義経[よしつね]によって連行された宗盛と、一度だけ会った。官位を剥奪されて身分なき罪人となった宗盛に、二位に叙された頼朝が対面することはないという中原広元[ひろもと]の進言を聞き入れ、わが身は簾中[れんちゅう]に隠した。言葉も、比企能員[ひきよしかず]を通して掛けた。
「予は、御一族への宿怨[しゅくえん]から戦ったわけではござらぬ。ただ、勅命ゆえ追討使を発し、その結果、貴方をかような辺土にお迎えすることとなった。平氏総帥[そうすい]にお会いでき、弓馬の身の誉であることよ」
歴史に残る場面となることを頼朝は意識して、言葉を選んだ。源家と平家、真にどちらが優れているか、最後の対峙である。宗盛は、何と返してくるか。一族を背負い、人生観をぶつけ、魂から絞り出す言葉を期待したが、宗盛はひたすらへりくだり、聞き取りにくい声で命乞いをした。
頼朝に衝撃が走った。
(こんな男と戦っていたのか……)
居並ぶ鎌倉武士が、宗盛の卑屈さに呆[あき]れ、ざわめき始めた。
頼朝はこれ以上、見ていられず、引見を切り上げ、その場を去った。だから、何かもごもごと要領を得ない言葉を口にしながら、能員に頭を下げる姿が、宗盛を見た最後である。
「京へ連れ戻して首を切れ」
橘公長へ命じ、身柄を都へ戻る義経一行に預けた。この時、一年前に捕虜となり鎌倉で過ごした重衡も、南都の僧侶からの身柄を引き渡せとの要望に応え、共に出立させた。重衡のことは殺したくなかったが、引き渡しを拒んで寺社を敵に回すわけにいかない。
鎌倉のために忠臣も手に掛けたのだから、どれほど良い男だとしても敵将を庇[かば]うことはない。上総広常[かずさひろつね]を屠[ほふ]ってから、頼朝の基準は常に「広常の誠」にある。あの男以上に価値があるかどうか。
悪源太[あくげんた]ではなく、武衛[ぶえい]だからこそ鎌倉は成り立つのだ―――その言葉以上の重みを感じることができるかどうか。
「それで、三人の平家は、いかような死に様であったか」
頼朝に促され、公長はそれぞれの最期を語り始めた。
まずは、平宗盛からだ。
(秋山香乃/山田ケンジ・画)