テーマ : 連載小説 頼朝

第四章 骨肉の争い(22)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】

 どうしてこんなことになってしまったのか……と、郷[さと]御前は眼前に控える雑色[ぞうしき]と届けられた文へ交互に視線を走らせた。
 頼朝[よりとも]の命で義経[よしつね]に嫁いで、まだ一年も経っていない。
 文は朝日[あさひ]御前からと母からのものだが、頼朝の使う雑色が届けてきたのだから、認[したた]められた中身は鎌倉殿の意向に違いなかった。
 (これは御命令なのだ)
 二通の文は、同じことを郷御前に告げている。夫、義経が東国へ下向して不在の内に、堀川邸を抜け、鎌倉へ戻ってくるように、と。
 義経に嫁いでから今日までのことが、郷御前の心にくるくると蘇った。義経の傍には、静御前という深い寵愛[ちょうあい]を受けた白拍子[しらびょうし]が常に寄り添っていることを、嫁ぐ前から聞き知っていた。辛[つら]い結婚になると、覚悟して京へ赴いた。
 愛妾どころか、呆[あき]れたことに他に幾人も義経には妻がいた。堀川邸で暮らすのは静御前一人だったが、京のあちらこちらに夫の通う場所があったのだ。「嫡妻である郷御前にご挨拶を」と、上洛したての頃に女たちが次々と堀川邸を訪ねてきた。これらの女たちとも寵を競わねばならないのかと、郷御前は暗澹[あんたん]たる気持ちにさせられたものだ。
 義経は常に優しかったが、男が女に向ける愛情とは程遠かった。郷御前も優しさに応えたかったし、どうせ一緒に生きていかねばならぬなら、睦[むつ]まじくしたい。
 (けど……愛なんて分からない……)
 顔を合わせて会話を交わし、肌が触れ合う時は愛おしさが湧くが、義経が静御前と燃え上がる恋に夢中になっていても、もやっとする程度で激しい妬心[としん]は湧かない。むしろ、もし自分が静御前ほど求められたら体がもたないと思うだに、有り難さすら覚える。
 それでも気に入られようと努力はした。鎌倉を発つ前、朝日御前に義経を正しい道に導くよう言い聞かされていたからだ。愛されてもいない女の言葉は、心に響かぬものだ。せめて夫が耳を傾けてくれるくらいには、情を交わしたい。
 (そう思っていたけど、あまりに何もかもがめまぐるしく進んでいった。私は、何もできなかった)
 嫁入りしたのが昨年の九月。義経が平家追討のため京を去ったのは一月。凱旋[がいせん]が四月で、今月五月には夫は鎌倉へ向かって出立した。
 妻として忠告を与えられるほど、信頼関係を築く時間など取れぬまま今日を迎えた。
 「お方様、いつご出立できましょうか」
 黙り込んでいると、雑色が訊[たず]ねた。
(秋山香乃/山田ケンジ・画)

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