第四章 骨肉の争い(19)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】

義経[よしつね]は寝殿の西にある侍廊[さむらいろう]に端座させられ、待たされた。ここは昨年、武田信義[のぶよし]の嫡男、一条忠頼[ただより]が誅殺[ちゅうさつ]された場所だ。床に染みた血痕が、まだ残っている。
義経の側面にも背後にも、頼朝[よりとも]警固の役目の侍が、いかめしい顔で待機している。やはり自分はここで殺されるかもしれぬ、と義経は覚悟した。
半時ほど過ぎたころ、義経の座した正面の障子が開き、頼朝が姿を現す。あれほど会いたかった兄の姿に、義経の胸がぎゅっと痛んだ。
それにしても、何という冷ややかな目をしているのだろう。
(こんな雰囲気の人では無かった。以前より冷徹なところはあったが、もっとどこか温かみのある目をしておられたというのに)
鎌倉殿という「職務」が、どれほど過酷なのか垣間見た気がした。
(吾[われ]の働きで、少しでも兄上を楽にして差し上げることができれば)
この期に及んでも、まだ義経は焦るような気持ちで、そう願うことを止められない。
「廷尉[ていい]、まずはその方の言い訳を聞こう」
頼朝は嫌な言い方をした。これまでは九郎と呼んでくれていた。それに、「言い分」ではなく、「言い訳」と言われたことも、義経には堪[こた]えた。まるで重い石を腹の底に投げ込まれたようだ。
それでも、機会が与えられただけましなのだ。義経は口を開いた。自分に異心は無いこと、全ての行いは兄・頼朝の宿願を叶えるための役に立とうとしたものであることを、言葉を尽くして訴える。
「曇りなきわが真心を憐[あわ]れみ、今後も傍でお仕えすることを、お許しください」
義経の魂から絞り出す哀願を聴いても、頼朝は眉一つ動かさない。
「言いたいことはそれだけか」
という声音もあまりに冷たく、背筋が凍る思いだ。たまらず、
「吾は兄上が好きでございます。全ては兄上のお役に立ちたく、ただ立ちたくて……この九郎義経には、他には何もございませぬ」
血を吐くような叫び声で繰り返した。
「ならばなぜ、命に背く。お前が予に褒めてほしいように、わざわざ鎌倉より出立した御家人たちも、遠征で苦労を重ねた分、褒賞が欲しいのだ。その機会をなぜ奪った。それに、その方は大きな勘違いをしておるようだ。予はその方の兄ではない。鎌倉殿だ」
義経は、言葉を失った。
(秋山香乃/山田ケンジ・画)