大自在(11月22日)漢詩とコロナ

 三国志の舞台に触れようと2009年に中国・湖北省を訪れた。赤壁や諸葛孔明の庵、関羽の墓などを巡る旅の中心となった省都武漢市は10年後、新型コロナ禍で負の印象で語られることが増えた。
 ウイルスの起源は論争が続くが、武漢の海鮮卸売市場で19年11月中旬以降に動物から人の感染が複数起きていたと今年7月、米国の2チームがそれぞれ米科学誌サイエンス電子版で報告した。そこから数えれば悪夢は始まりから丸3年になる。
 武漢で最も有名な観光地の一つは長江の近くにそびえる黄鶴楼[こうかくろう]だろう。元々は三国時代の見張りやぐら。焼失と再建を繰り返した。現在は当初の位置から少し離れた所に建ち、市街を一望する。文人墨客が親しみ、多くの漢詩を詠んだ。
 「故人西のかた黄鶴楼を辞し 煙花三月揚州に下る 孤帆[こはん]の遠影碧空[へきくう]に尽き 唯[た]だ見る長江の天際に流るるを」と書き下せる七言絶句は唐代の李白の作。古くからの友人で「春眠暁を覚えず」の「春暁」で知られる孟浩然の旅立ちに際して詠んだとされる。
 李白と並び称される杜甫も同時代の湖北省の人。「国破れて山河あり」の「春望」で有名である。家族や友人に思いを寄せたり、国の行く末を憂えたりと、漢詩の題材は今に通じ、現代人の心にも染み入ってくる。
 先の見えないコロナ禍をどう生きるか。ヒントを求めて本棚から漢詩の本を引っ張り出した。黄鶴楼から卸売市場の方向を穏やかに望める日が来るのを願って。疫病や戦乱の渦中、千年以上も読み継がれる詩を残した先人に学ぶことは多そうだ。

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