第四章 骨肉の争い(17)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】

義経[よしつね]には自負がある。
―――吾[われ]こそが、源氏を勝利に導いたのだ、と。
その自負こそが、頼朝[よりとも]の怒りを買っているとは気付かない。
「誰の兵で戦ったのだ。お前一人で何ができる。みな、この頼朝のお膳立てあってこその実績ではないか」
義経の驕[おご]る様が鎌倉に報告されるたび、頼朝がそう怒ってきたことを、当人は知らない。
知らないがゆえに、もし、兄と共に同じ戦場に立ち、頼朝の眼前で戦うことができていれば、今日のようなことは起こらなかった、と信じている。直[じか]に自分を見ていただければ、きっと分かってくださる―――と。
(そうだ。兄上は、「九郎、よくやった」と褒めてくだされたに違いない)
頼朝の中で、「一番頼りになる弟」になれれば、どれほど嬉[うれ]しかったろう。
「さすがは、九郎。予も鼻が高いぞ」
夢想したのはそんな言葉の一つである。欲を言えば、
「これからも頼りにしているぞ、九郎」
ともう一声、添えてほしい。
義経の願いなど、その程度のことで、何も大それたものではないのである。
それなのに、なぜこれほどまでに邪険にされるのか。
(異腹とはいえ、血を分けた兄弟ではないか)
義経には一条能成[よしなり]という異父弟がいる。母常盤御前が、再婚相手の一条長成[ながなり]との間に儲けた子で、義経とは六歳離れている。共に暮らした期間は少ないが、今も昔も、「兄上、兄上」と義経のことを慕ってくれる。義経も能成が可愛く、今年で二十三歳のいい歳をした青年だが、たまにうっかり子供扱いしてしまうこともある。
(兄弟とは、そういうものではないのか)
これから自分はどうなるのか、という不安と、実の兄に疎まれている切なさが入り混じり、義経は鎌倉を目前に辛い日々を徒[いたずら]に過ごした。少しでも兄の傍に近付きたく、小田原を少し過ぎた辺りの酒匂[さかわ]から、鎌倉を眼前に捉えた腰越[こしごえ]まで移動した。
そこへ実兄の全成[ぜんじょう]が訪ねてくる。
「兄上、よく来てくだされた。どうしてよいか分からず、途方にくれておりました」
抱き付かんばかりに喜んで義経は迎え入れたが、全成は困ったような憐[あわ]れむような、何とも言い難い表情を弟に向ける。
「元気そうで良かったよ」
「こんな事態になって、元気などありませぬ」
「兄上からの言伝[ことづて]だ。会うそうだよ。ただし最後の機会だ。『間違うなよ』と仰せだ」
(秋山香乃/山田ケンジ・画)