第四章 骨肉の争い(13)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】

 長門と筑紫の間に横たう壇ノ浦で三月二十四日、鎌倉方八百四十余艘、対する平家方五百余艘の軍船で海戦を繰り広げ、二刻(約四時間)かからず勝敗を決したという。
 二十四日といえば、希義[まれよし]の夢を見た日ではないか。やはりあれはただの夢ではなく、希義が戦勝を喜び、感極まって会いにきてくれたのだ。そう思うと、頼朝[よりとも]の胸は熱くなった。
 義経[よしつね]は昨年の戦の折は、使者だけ寄越[よこ]し、己の活躍を中心に口頭で伝えてきただけだった。戦況が全く把握できず、頼朝は叱責[しっせき]したものだ。そのせいか、今回は右筆を使って一巻の巻物に、状況を詳細に綴[つづ]ってきた。
 (あいつも成長しているじゃないか)
 二十五年来の悲願を成し遂げ、喜びが抑えられない。愚弟のことも褒めてやりたい気分だ。その思いは、藤原邦道[くにみち]が進み出て跪[ひざまず]き、公文所[くもんじょ]の寄人[よりうど]として巻物を読み上げ始めたとたん、消え去った。邦道の第一声に、頼朝から血の気が引く。
 「一つ、先帝は海底に没したもう」
 頼朝の心の臓がどくりと鳴った。聞き違えたのだろうか。今、安徳[あんとく]天皇が海に沈んだと言わなかったか……。心音が早鳴る中、
 (いや、まさかそんなはずは……あれほど先帝の御命をお救いすることが最重要事項だと言い聞かせたではないか)
 頼朝は冷や水を浴びせられたような寒気を覚えた。邦道は、頼朝の気持ちなど知らぬ態で入水した平家の者の名を、書いてあるままに読み上げる。最初に読まれた名は、これも助けるよう言い伝えていた二位尼[にいのあま]だ。邦道が、守貞王[もりさだおう](安徳天皇の異母弟)と建礼門院徳子[けんれいもんいんとくし]は無事だったことを告げ、さらに生け捕った者どもの名を、よく通る声で述べていく。最後に、三種の神器のうち宝剣を失い、目下捜索中であると、重大なことを読み上げた。
 何ということだろう。これで頼朝の平家追討には、大きなケチが付いてしまった。後白河[ごしらかわ]法皇率いる朝廷と渡り合う時に、大きな足かせとなるだろう。
 それよりも恐ろしいのは、帝[みかど]を害してしまったことだ。この国では、帝を傷つけて無事だった者などいない。必ず天罰が下っている。
 (源家は終わるかもしれない……平家のように……)
 足元から崩れ落ちてしまいそうだ。頼朝は邦道から巻物を受け取って巻き戻し、鶴岡八幡宮の方角に体を向け、ふらつく足を悟られぬよう座した。いつまでも無言でいる頼朝に、居合わせた人々は、「鎌倉殿は感無量でいらっしゃる」と、頼朝のこれまでの労苦を思い、感動に咽[むせ]んだ。
 (秋山香乃/山田ケンジ・画)

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