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第四章 骨肉の争い(7)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】

 「何故だ、何故だ、何故だ」
 誰もいないところで、頼朝[よりとも]は荒れに荒れて叫んだ。頼朝には、命令違反を繰り返す義経[よしつね]という弟がまったく理解できなかった。
 「慕っていると口で言いつつ、何故言うことをきかぬ。訳が分からぬわい」
 朝廷の命令系統に内包される武士団を独立させ、新たに鎌倉政権による支配系統を築き上げ、朝敵とみなされずに並び立たせる―――これが頼朝の目指すところだ。
 今は、朝廷の命令系統から引きはがすことを試みている最中である。だのに、頼朝の実弟の義経が、これまで通りの朝廷にかしずく武士として栄達しようとしている。頼朝の計画の大きな綻[ほころ]びとなる前に、取り除かねばならない。
 だが、義経の軍才は平家追討の中で必要だ。今は都に待機させているが、出軍した範頼[のりより]勢の九州渡海が叶[かな]えば、平家の二大拠点である瀬戸の内海にある屋島を義経、早鞆[はやとも]ノ瀬戸(関門海峡)にある彦島を範頼に同時に攻めさせ、陥落させたい。
 だとすれば、戦で利用し尽くした後、血を分けた弟を屠[ほふ]ることになる。
 (なんと卑劣な……)
 だが頼朝は、自身の評判や肉親の情で物事を判断する立場に、すでにない。どう動き、何を選べば、最小限の危殆[きたい]で最大の成果を上げられるか。上総広常[かずさひろつね]を謀殺したあの日から、常に判断の基準はそこにある。
 そもそも平家追討は、一ノ谷の戦いがあまりに上手く行き過ぎて、少々甘く見すぎたところがある。
 初め、備後と播磨を抑えさせていた土肥実平[どひさねひら]・遠平[とおひら]父子と梶原景時[かげとき]に、山陰・山陽の武士を徴兵させ攻略を任せたが、一向に埒[らち]が明かなかった。八月には、土肥軍が破れ、京は恐怖のどん底に落ちた。再び平家の軍勢が上洛するのではないかと思われたからだ。
 頼朝は鎌倉にいた範頼に新たに一千余騎を付け、総勢三万の軍勢を九州に向けて送り込んだ。平家は屋島から彦島に至る制海権を掌握している。平氏勢力が幅を利かす西国で、物資の徴収ができぬ中、物流も抑えられ、範頼勢はたちまち飢えた。九州に渡りたくとも船が無い。
 さらに平家は屋島の対岸、備前児島に城砦を築いて五百騎を送り込み、平氏の領域に入り込んだ範頼の背後を塞[ふさ]いだ。範頼は兵糧がない、馬が足りぬ、船もない、御家人が鎌倉を恋しがって脱走を企てていると、頼朝に頻繁に飛脚を送ったが、道を塞がれ、書状のやり取りもままならなかった。
(秋山香乃/山田ケンジ・画)

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