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第四章 骨肉の争い(5)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】

 「あの馬鹿をどうしてくれよう……」
 頼朝[よりとも]は薄暗い部屋で夜の食事を摂りながら、ぼそりと呟く。
 一緒に食事をしていた朝日[あさひ]御前が目線を上げた。傍らに灯された炎の影が、朝日御前の顔や着物の上でゆらゆらと伸びたり縮んだりしている。
 「結婚させたらいかがです」
 二人の間に亀裂が入ってから、朝日御前とは数えるほどしか会話を交わしていない。思いがけず話し掛けられて、頼朝は少し狼狽[うろた]えた。
 「誰のことか分かるのか」
 声が、少し上ずる。
 「九郎殿のことでございましょう」
 「うむ。あ奴め、予の許しもなく判官[ほうがん]となりおった。いったい九郎は何をしておるのだ。『鎌倉殿』の弟なら、手本となる行いを見せねばならぬ立場であろう。それが、真っ先に秩序を乱してどうする」
 このままでは始末せねばならなくなる―――と続く言葉はさすがに呑み込んだ。代わりに、
 「馬鹿な奴め」
 再び義経[よしつね]を馬鹿呼ばわりしたが、「馬鹿」と言葉にするとき、自分でもおかしなほど胸が軋[きし]んだ。あまりに義経が「兄上、兄上」と慕ってくるから、いつしか情が移ったようだ。頼朝から苦笑が漏れる。
 「あ奴はなあ、御台[みだい]。別に悪い男ではないのだ。むしろ純粋で、邪気がない。どうせ法皇に優しくされ、ほだされて断れなくなったのだろう。だからといって、それを予の立場で許せるか」
 頼朝がそんなふうに義経のことを言うと思っていなかったのだろう。朝日御前は驚きながらも、少し嬉[うれ]しそうな顔をした。妻のこんな顔を見るのは久しぶりだ。
 愚弟への憤懣[ふんまん]と、仲違いした妻との距離が少し縮まった気がする嬉しさが入り混じる中、
 「それで結婚とは」
 頼朝は朝日御前に意見を促した。
 「蒲[かば]殿が藤九郎殿(盛長[もりなが])の娘御と結ばれました折に、同じように九郎殿にも比企尼[ひきのあま]殿のお孫の郷姫[さとひめ]を娶[めと]わせようとおっしゃっていたではありませんか。この機に姫を京へ送ってはいかがでしょう」
 小野田藤九郎盛長の妻は比企尼の娘だから、範頼に嫁いだ姫は比企尼の孫娘である。頼朝が最も信頼している比企尼の血筋を嫁がせるのは、肉親を嫁がせるに等しい。破格の待遇だった。ちなみに全成[ぜんじょう]には、朝日御前の妹・阿波局[あわのつぼね]が嫁いでいる。
(秋山香乃/山田ケンジ・画)

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