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第四章 骨肉の争い(4)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】

 源広綱[ひろつな]は以仁王[もちひとおう]と共に挙兵した頼政[よりまさ]の子だ。あの挙兵が無ければ今の頼朝[よりとも]はない。さらに伊豆守を務める時期が長く、頼朝が流人時代を比較的おおらかに過ごせた理由の一つは、頼政が配慮してくれたためでもある。いわば、恩人の息子である。
 最後の一人、平賀義信[よしのぶ]は、河内源氏二代頼義[よりよし]の三男義光[よしみつ]の孫だ。平治の乱の折、義朝[よしとも]に従って都を落ちた七人の一人で、頼朝にとっては辛い雪中の逃避行を共にした男であった。父義朝の信任が厚かった者として、頼朝は源家門葉[もんよう]筆頭と定め、重用している。本拠地は信濃の佐久郡平賀荘で、義仲[よしなか]存命中は義仲勢の侵攻を止める要の人物であった。頼朝の方が慕い、敬愛している。
 確かに落ち着いて見直すと、平家追討の戦いにおける褒賞をうたいつつ、平治の乱以降の二十四年間の働きや、その人物の持つ背景が決め手となっているようだ。義経[よしつね]にはその何れもない。
 義経は嘆息した。何も持たずとも、これからの戦働きで奮戦し、なんとしても兄頼朝に己の存在を認めてもらいたい。そう思うものの、平家追討の総大将には範頼が任命され、義経は都の警護に留め置かれることが決まっている。
 これは、いったん対義仲で同盟を結んだ伊勢周辺の平氏が、反乱を起こしたこととも関係している。乱の鎮圧に当たったのは、伊賀、伊勢、近江の惣追捕使[そうついぶし](後の守護)となった大内惟義[これよし](平賀義信嫡男)、山内首藤経俊[すどうつねとし]、佐々木秀義[ひでよし](佐々木兄弟の父)だ。秀義は、この戦で流れ矢に当たって討ち死にした。
 平氏側の首謀者平田家継[いえつぐ]、平信兼[のぶかね]、伊藤忠清[ただきよ]のうち家継は梟首[きょうしゅ]されたが、信兼、忠清には逃げられた。このため、義経に頼朝から出陣命令が下った。義経は、在京していた信兼の息子、兼衡[かねひら]、信衡[のぶひら]、兼時[かねとき]を堀川の屋敷に呼び出して謀殺し、伊勢に進軍して信兼を討ちとった。ただ、伊藤忠清は姿を晦[くら]ましたので、都は今も警戒態勢の中にある。
 後白河法皇や朝廷は、不安のあまり平氏追討で義経が京を去ることに難色を示した。頼朝は、義経が命令に背いたことも含め、平家追討の任から外し、京都守護に専念させることを決めたわけだ。
 「まあ、そう落ち込むな。とにかく吾[われ]は忠告したぞ。武田殿(信義[のぶよし])の嫡男が、粛清されたことは伝え聞いておろう。兄上は、邪魔者をどんどん消すおつもりだ。生き残りたければ、血の繋がりなど、何の役にも立たぬと知れ」
 範頼[のりより]は言い捨てて帰っていった。
 (秋山香乃・作/山田ケンジ・画)

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