単一水源のリスク直撃 旧市の体制改善されず【検証 清水区断水㊤】

 台風15号が猛威を振るった9月23日夜、静岡市清水区の興津川は普段と全く違う様相を見せていた。黄土色の濁流が区内8割の家々の飲用水を担う承元寺取水口を襲った。

流木などが詰まり水を取り込めなくなっていた承元寺取水口=9月25日、静岡市清水区承元寺町の興津川(本社ヘリ「ジェリコ1号」から、写真部・杉山英一)
流木などが詰まり水を取り込めなくなっていた承元寺取水口=9月25日、静岡市清水区承元寺町の興津川(本社ヘリ「ジェリコ1号」から、写真部・杉山英一)
台風15号襲来後の主な動き
台風15号襲来後の主な動き
流木などが詰まり水を取り込めなくなっていた承元寺取水口=9月25日、静岡市清水区承元寺町の興津川(本社ヘリ「ジェリコ1号」から、写真部・杉山英一)
台風15号襲来後の主な動き

 「取水できていない」。委託業者が計測機器の異常値に気付いたのは翌24日午前2時半。取水口の詰まりが確認できたのは同5時40分だった。同日午後には復旧の見通しが全くないまま、深刻な断水に見舞われた。
 取水口は1日7万立方メートルを取水。安倍川水系からの「北部ルート」と「南部ルート」、さらには区内三つの井戸を加えても3万立方メートル前後で、上積みが求められていた。
 市上下水道局内で「富士川水系の工業用水を利用できないか」と声が上がったのは、取水不能の一報から約20時間が経過した24日午後11時。翌日午前の県との折衝で、同水系のふじさん工業用水道から「緊急融通」する見通しがついたものの、谷津浄水場内にある長さ約2メートルの三つまたの配管に付ける鉄製のふたが見つからず、急きょ発注する不手際も起きた。納入を待ち、緊急融通が始まったのは断水から丸1日たった25日午後3時だった。
 緊急融通が災害による突発的な対応であったことを踏まえれば、「市の対応は比較的スムーズだったのではないか」(関西地方の水道当局関係者)との意見もある。しかし、地元の渇水の歴史を知る清水区民からは「なぜ台風が来る前から準備ができなかったのか」との声も多い。
 過去には旧清水市時代の1985年に30日間の夜間の時間断水を経験。96年には85日間にわたり上下水道の給水制限を行うなど、清水区はもともと渇水に悩まされてきた。ただ、承元寺取水口1カ所に水源を深く依存する体制が続いていた。
 市上下水道局は「渇水と断水は違う。災害に起因する断水対策には限度がある」と説明する。一方、津波で浄水場などが被災した東日本大震災を機に厚生労働省が作成したガイドライン「新水道ビジョン」では、「複数水源の利用」の重要性が語られている。同省は年度末の全国水道担当者会議で今回の災害対応について市に紹介を求める方針だ。
 断水で市が頼った富士川水系の水。平常時では河川法や、「一般の需要に応じて供給してはならない」とする工業用水道事業法に抵触する緊急融通で、ふじさん工業用水道を経て得た水は最大1日1万2千立方メートルしかない。旧清水市時代から富士川水系を「恒久水源」として望む声はあり、最近では清水区内に県と市が建設を進めながら、途中で中止となった布沢川ダム(生活貯水池)の見直し作業が進む中で、代替案として議論された。
 県OBは「旧清水市と旧静岡市の合併後は富士川水系の水源としての可能性に真正面から向き合って来なかった」と指摘。断水で単一水源の危うさを知った区民の間で他の水源確保を望む声が聞かれるようになった。
     ◇ 
 6万3千戸が被災し、復旧まで13日間を要した清水区の断水。その長期化や生活の混乱は少しでも防げなかったのか、探った。

 <メモ>清水区の大規模断水 台風15号により9月23日夜から強まった雨により興津川にある承元寺取水口に流木などが詰まり、長期間取水できなくなったことで発生した。由比・蒲原地区などを除く広いエリアがこの取水口1カ所に頼っていたため、断水世帯が膨らんだ上、長期化したとされる。取水口の詰まりは民間業者や災害派遣要請を受けた自衛隊の作業で復旧した。

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