第三章 鎌倉殿㊿【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
平重衡[しげひら]は、今年二十八歳になる清盛[きよもり]の五男だ。左近衛権中将[さこんえごんのちゅうじょう]まで昇り、従三位[じゅさんみ]に叙されていたため、三位中将と呼ばれている。

闊達[かったつ]で洒脱[しゃだつ]、細やかな情にも通じ、亡き高倉[たかくら]院とは身分を超えて良き友だったらしい。
百戦百勝の常勝将軍として名高い。平家の中でも、群を抜く戦上手だ。源平合戦で、この男が采配を振れば、鎌倉方も苦戦するだろうことは、誰もが予想していた。
義仲[よしなか]軍と行家[ゆきいえ]軍を蹴散らしたのも、重衡なのだ。もし、頼朝[よりとも]が範頼[のりより]・義経[よしつね]勢を上洛させねば、再び平家が都を占拠したかもしれない。
最も警戒していた将が、一ノ谷の戦いで捕虜となった。頼朝の喜びはひとしおである。
重衡は、かつて権勢を誇った京で、市中引き回しの辱めを受けたが、知らせによると見物人から謗[そし]りや罵倒を受ける中、顔を真っすぐに上げ、最後まで乱れることがなかったという。それどころか、「こんな屈辱に負けるものか」という気負いもなく、終始淡々としていたそうだ。
(すごいな)
頼朝は感嘆した。もし、己が同じ目に遭ったなら、そこまで冷静な態度を取れただろうか。この話を聞いて以来、頼朝は重衡に会ってみたかった。
寿永三(一一八四)年三月二十八日、頼朝は伊豆で重衡を引見した。
都から連行した梶原景時[かげとき]が調えたのか、清潔そうな藍の摺[す]り染めの直垂[ひたたれ]に引立烏帽子[ひきたてえぼし]を身に着けている。南都を焼き払い、五千人余りを殺戮[さつりく]した悪鬼のはずが、荒くれた様は片鱗[へんりん]も見られない。
敵将の前に引き出された者とは思えぬ優美な所作で膝を折る。瞳には、怒りも諦めも自嘲の感情も、宿していなかった。まるで静寂という衣をまとっているかのようだ。
(あの顔を乱してみたい)
頼朝は挑発するため、殊更平家の弱さを挙げ連ね、「この上は、近々予の前に這[は]いつくばる槐門[かいもん](宗盛[むねもり])を見下ろすことになろう」と、重衡の兄で平家惣領宗盛のことも愚弄[ぐろう]した。
それでも重衡は、深沈たる態度を崩さない。
「繁栄も零落も諸行無常の理の中。武士が死力を注いだ戦いの中、捕らわれたとて、恥とは言わぬ。貴公はただ、疾[はや]く吾[われ]の首を落とされよ」
二十数年前の源家の姿を思い起こせば、まさにその通りではないか。
「確かに勝負は時の運。負けて武勇が地に落ちるわけではないわ」
感じ入った頼朝は、重衡を狩野宗茂[むねしげ]預けとし、首を刎[は]ねなかった。
(秋山香乃/山田ケンジ・画)