テーマ : 連載小説 頼朝

第三章 鎌倉殿㊽【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】

 三月。鎌倉と断絶して伊豆に引きこもっている北条時政[ときまさ]に、頼朝[よりとも]は何事も無かったかのように仕事を振った。平家勢力の強い四国の中で、源氏に与する者たちへの指示書を出させる。
 広常[ひろつね]が見せしめとなって殺された今、頼朝に逆らっている時政としては、さぞ心乱れているだろう。戻ってくるきっかけを、頼朝から作ってやったわけだ。
 さらに朝日[あさひ]御前も連れて伊豆へ鹿狩りに向かった。伊豆から戻る際に時政も連れ戻すつもりだ。
 久しぶりの故郷に、朝日御前は嬉[うれ]しそうだ。
「本当は、子供たちも連れてきたかったけれど……」
 万寿[まんじゅ]は比企尼[ひきのあま]の一族が養育していて、すでに朝日御前の手の中にいない。頼朝自身、母親から引き離されて育った。貴人はみなそうやって育つものだ。頼朝は当然のように考えていたが、朝日御前は恨めしく感じているようだ。
 今度の伊豆行きも、朝日御前は万寿を連れ出そうとしたものの、
「とんでもございませぬ。世の中が騒がしいこの時期に、どこに誰が潜んでいるやもしれませぬ。若君を連れ出すなどとても」
 比企尼に反対された。二十年間、頼朝の流人時代を精神面でも物質面でも支え通した比企尼は、頼朝にとって大恩人だ。朝日御前も強く出られない。諦めざるを得なかった。
 せめて娘の龍[たつ]姫だけでもと誘ったが、こちらは本人に断られた。
「太郎(義高[よしたか])様と片時も離れたくございませぬ」
 というのが、理由らしい。義高の父義仲[よしなか]は、ほんの一月[ひとつき]半前に鎌倉軍によって討ち取られたばかりだ。もう人質としての価値はない。義高は、薄氷の上で暮らしているようなものだ。生かされるか殺されるか、頼朝の心次第の身だ。
(謀反人の息子に、ただ一人の娘である龍姫をやるわけにいかぬ)
 娘は政治的に重要な手札となる。鎌倉にとってもっと意義ある婚姻を成さねばならない。可哀[かわい]そうだが、鎌倉殿の娘としての責務に、龍姫とて目を瞑[つむ]ることなど許されない。
 鎌倉の為に死んだ男がいる。ならば、頼朝とその家族は、個を捨て、鎌倉のために身を捧[ささ]げて生きるべきだ。
 鎌倉を留守にしたのは、義高に脱走してもらう意図もある。義高の非を誘い、断罪して処分する。頼朝は自分自身にぞっとなった。
(私はどこまで人の心を失くせばよい……)
 (秋山香乃・作/山田ケンジ・画)

いい茶0

連載小説 頼朝の記事一覧

他の追っかけを読む