テーマ : 連載小説 頼朝

第三章 鎌倉殿㊼【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】

 

 謀反人上総広常[かずさひろつね]と嫡子能常[よしつね]の死は、その日のうちに鎌倉中に知らされた。上総氏一族全体が罪に問われ、家人らもみな所領は収公された。広常の兄弟など、近しい関係にある者たちは、加えて蟄居[ちっきょ]という厳しい処分となった。
 ざわついたのは、同じような目に遭わぬとも限らぬ千葉氏と三浦氏である。彼らを安心させるため、頼朝は速やかに広常の旧領のほとんどを分け与えた。
 さらに、謀殺から一月[ひとつき]も経たぬうちに、広常父子の謀反は誤報であったことを公にし、己の過ちを認めた。手厚く二人を供養するとともに、先に処罰された一族の者たちとその家人らから取り上げた所領は、全て元に戻したのだ。謹慎蟄居も解いた。
 これは、上総国の神社から見つかった広常の願書の中で、頼朝の心願成就と東国泰平が祈願されていたからである。広常は謀反人から一転、忠臣と称えられた。
 ただ、旧領が復されたとはいえ、広常と能常二人の領土は千葉氏と三浦氏に分配されたのだから、以前のように三氏が並び立つようなことは、今後はない。上総氏は有力豪族の地位から大きく後退し、影響力も発言力も失った。
 千葉氏と三浦氏はいっそう強大になったものの、頼朝に逆らえばどんな未来が待っているのか、眼前で見せられたのだから冷や汗ものだ。昨年までは鎌倉政権下第一の一族だった上総氏を、頼朝自身は一兵も動かすことなく無力化させた。その鮮やかな手腕を見せつけられ、これまで通り長老のような顔で意見を述べられるはずもない。
 それに、いつの間にか頼朝の側近の顔ぶれが変わっている。上洛して朝廷工作を担当するようになった藤原親能[ちかよし]と入れ替わる形で、義弟の中原広元[ひろもと]が鎌倉に下向し、頼朝の相談役に収まっている。
 広元はのちに、文書管理を行う文官機関である公文所を設け、その別当(長官)に就任する男だ。広元の下で藤原親能、二階堂行政[ゆきまさ]、足立遠元[とおもと]、藤原邦通[くにみち]の四人が補佐した。この男たちが鎌倉の頭脳といっていい。
 一方、鎌倉の武威を世に示したのは、頼朝の弟・範頼[のりより]と義経[よしつね]だ。両者は寿永三(一一八四)年、頼朝の命で義仲[よしなか]追討のため上洛し、一月二十日には義仲を粟津[あわづ]の戦いで破って討ち取った。
 休む間もなく翌二月上旬、福原を回復する勢いを見せた平家を一ノ谷の戦いで破り、鎌倉勢の強さを見せつけたのだ。
 (強すぎないか)
 知らせを受けた頼朝が目を瞠[みは]ったほどだ。
 (秋山香乃・作/山田ケンジ・画)

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