時論(10月2日)安倍元首相に手向けられた花

 現生人類(新人)は約5万年前、アフリカを出て世界中に拡散したとされる。新人に先行して原人の後に登場し数万年前に絶滅した旧人ネアンデルタール人が死者を埋葬する際に花を供えていたことが、イラクの洞窟内で発見された花粉から推測されるという。
 同じ霊長類でも猿の仲間は葬儀をしない。墓も作らない。「死は事実ではなく概念である」「死は認識されてはじめて意味をもつ」という記述に得心した(「民俗小事典 死と葬送」)。
 安倍晋三元首相の国葬に内外から4183人が参列した。一般献花に長い行列ができ、約2万6千人が花を手向けた。テレビで見た限り、菅義偉前首相の弔辞にあったように20、30代の人たちが少なくなかったようだ。
 安倍氏の衝撃の死と国葬は歴史に刻まれる。記録映像も繰り返し流される。献花した若者たちは将来、どう振り返るだろう。その時の日本は…。
 当日はお彼岸の1日後だった。暦の秋分は渡来したものだが、お彼岸は日本独自の風習と教わった。太陽が真西に沈む秋分の日に阿弥陀さまのいる西方浄土を向き、往生した人たちをしのぶ。中継を見ながら、日取りに政治日程以上のものが感じられ、会場に流れた「花は咲く」の曲が胸にしみた。
 右、左の横軸、志の高低という縦軸、そして奥行きの座標軸があって政治家は像を結ぶ。思慮深さか人間性か。
 国葬という位置付けに賛否があったが、せめて当日は鎮魂の時でありたかった。デモなど反対行動の映像もまた、繰り返される。言論や集会の自由の保障が確認できたとしても、式典を機に日本人の死生観や礼節に思いを致すには騒がしすぎた。何を教訓にできるか、新たな議論が検証から始まる。
 

いい茶0
あなたの静岡新聞 アプリ
地域再生大賞