第三章 鎌倉殿㊵【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】

 義仲[よしなか]らの強奪にうんざりしていた朝廷は、鎌倉勢の上洛を切望しつつも、頼朝[よりとも]が準備の整わぬうちに軽率に入京しなかったことに感動した。
 「義仲らに後[おく]れをとっている現状、これ幸いに急ぎ上洛するかと思いきや、これはなかなか、侮[あなど]れぬ男のようじゃ」
 後白河[ごしらかわ]法皇は、俄然[がぜん]頼朝に興味を抱いた。十月九日に除目を行い、頼朝の右兵衛権佐[うひょうえごんのすけ]の地位を復してやった。これで、二十三年前に謀反人となった頼朝の罪が、正式に許されたことになる。頼朝にとって悲願だったため、知らせを受けた時は、喜びが隠せなかった。
 「御台[みだい]、吾[われ]の為に喜んでくれ。とうとう罪人ではなくなったぞ。そなたも罪人の妻ではなくなったのだ」
 朝日[あさひ]御前の居室に飛び込み、いの一番に知らせる。
 朝日御前は、まあ、と目を見開き、
 「宜[よろ]しゅうございましたなあ」
 頼朝の手を取って喜んでくれた。頼朝も手を握り返す。懐かしい感触だ。
 「そなたの支えがあってこそよ」 
 「そんなことはございませぬ。されど、そんなふうに言ってくださり、嬉[うれ]しゅうございます」
 「朝日よ、これからも頼むぞ」
 「はい。共に歩んで参りましょう」
 頼朝は、さっそく鎌倉の御家人たちを鶴岡八幡宮に集め、罪が解かれた喜びを伝えた。また、年号を鎌倉式の治承から朝廷の定めた寿永に戻す旨を公表した。微妙な反応だ。
 解散後、
 「情けなきことよ」
 水を差すような言葉が耳に飛び込む。振り返った頼朝の目に、苦り切った上総広常[かずさひろつね]の姿が映った。
 (またお前か)
 頼朝は辟易[へきえき]した。
 目が合うと、広常はつかつかと寄ってくる。
 「そんな小さきことで、御悦[およろこ]び遊ばすな。武衛は坂東の覇者となられたのだ。いずれは全ての武士の棟梁となるお方。一々、朝廷の顔色を窺う[うかが]ような真似はやめていただきたい」
 苦言を呈した。
 「小さきことだと」
 そんなことがあろうか。罪人かそうでないかで、やれることは雲泥の差となる。行いの正当性は、征伐の対象とならぬ上で常に必要なことだ。最重要事項と言ってもよい。父義朝[よしとも]は、官軍になれなかったから負けたのだ。
(秋山香乃/山田ケンジ・画)

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