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第三章 鎌倉殿㉒【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】

 日本の元号は、治承五年七月に養和へと変わり、さらに今年の五月には寿永となった。が、平家政権を認めない鎌倉政権は、引き続き治承を数えている。

 治承六(一一八二)年二月。
 昨年から体調を崩して寝込んでしまった朝日[あさひ]御前を見舞うため、年末年始の大倉御所は多くの御家人でごった返した。
 今年に入って、朝日御前の体調不良が病ではなく懐妊だったと分かり、鎌倉は活気づいている。
 祝い気分一色の中、三浦義澄[よしずみ]が、
 「伊東入道の恩赦[おんしゃ]は叶[かな]いませぬか」
 伊東祐親[すけちか]の罪を許してほしいと、頼朝[よりとも]に願いでてきた。挙兵から今日まで、休む間も無かった頼朝は、久しぶりにその名を聞いて、虚を突かれたような気持ちになった。
 「予の息子を殺した男を許せと申すか」
 頼朝は眉間に皺[しわ]を寄せて不機嫌そうに呟[つぶや]く。手には未[いま]だ千鶴丸[せんつるまる]の温かく柔らかい肌の感触が残っている気がして、義澄に見えぬように、ぎゅっと拳[こぶし]を作った。
 一方で、祐親のことは、最後に見てから未だ二年も経っていないのに、幽閉を申し付けたのがずっと昔のことのように感じられる。
 この男は……と必死に嘆願する義澄を見つめる。
(何故[なにゆえ]、祐親のためにここまで尽くしておるのだ。私の恨みが強ければ、自身の立場が危うくなることも考えられたろうに。されど、他人の為に危ない橋を渡れる義澄のような者こそが、信頼できる男なのだろうな)
 そういえば、と頼朝は同じ三浦党の岡崎義実[よしざね]の顔を思い浮かべた。頼朝が可愛[かわい]がっていた佐奈田与一義忠[よいちよしただ]の父親である。
 石橋山の戦いで、義忠が俣野景久[かげひさ]と組み合う最中、直接その首を掻[か]き切った長尾定景[さだかげ]の身柄を、
 「与一を殺した男だ。その方の好きなやり方で殺すがよい」
 頼朝は義実に引き渡した。
 息子の仇[かたき]にもかかわらず、義実は定景を哀[あわ]れに思い、どうしても首を切ることができなかった。そのままずるずると館に幽閉して数か月が過ぎたころ、とうとう頼朝に向かって命乞いをしたのだ。
「息子を殺した男ゆえ、憎い気持ちが強うござったが、あの男は毎日与一のために法華経を読誦[どくじゅ]いたします。その声を聴くうちに、吾[われ]の恨みは消え失せました。どうか、あの者をお許し願いとうございます」
 頼朝は信じられなかった。同時に、強く胸を打たれ、定景を許した。
 (秋山香乃/山田ケンジ・画)

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