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市民の努力、隠れた歴史に光 今後は現地調査も【幻の巨大防空壕⑤】

 終戦直前、総延長2千メートルに及ぶ巨大防空壕(ごう)の建設計画が静岡市にあったことを突き止めた「静岡平和資料センター」(同市葵区)のボランティアでつくる研究チーム。自らもチームのメンバーで同センターを運営する市民団体「静岡平和資料館をつくる会」事務局長の土居和江さん(70)は「専門的知識のない一般の市民だけで成果を上げることができたことに意義がある」と振り返った。

今年初開催の「夏休みおやこ平和教室」に集まった親子連れに対して、手ぶりを交えて話をする高須陽子さん(右)=8月上旬、静岡市葵区
今年初開催の「夏休みおやこ平和教室」に集まった親子連れに対して、手ぶりを交えて話をする高須陽子さん(右)=8月上旬、静岡市葵区

  今回チームに加わったのは、社会人や主婦、学生ら10~70代の8人。大学などの研究者はいない。
  「自分にとって、とても大切な場所」。研究チーム最年少で、静岡大人文社会科学部2年の市山修平さん(19)=駿河区=はセンターの活動をそう表現した。御殿場市出身の市山さんは、大学の先輩に誘われて1月から会の活動に参加した。
  中学時代から第2次世界大戦の歴史に興味があったという市山さんは「教科書や資料集でしか見ることができない貴重な史料を手にとって見られることも大きい」と話す。
  2014年9月に活動に加わり、市公文書館などに通い詰めて巨大防空壕の貴重な文書や地図を最初に発見した奥脇卓也さん(33)=同=は「あるとは思っていたが、見つかって本当によかった」と発見したときの興奮を語った。
  調査結果は今月下旬に仙台市で開かれる「第46回空襲・戦災を記録する会全国連絡会議」で発表する予定。センターでは10~11月にかけ、新たに発見した巨大防空壕の建設予定地の地図などを展示する。今後は本格的な現地調査を実施するなど、巨大防空壕計画に関する研究を長期的に継続する予定だ。
  元高校社会科教諭の土居さんは「終戦から71年が経過し、戦争体験を話してくれる人が減っている。悲惨な戦争を語り継ぐため、(展示や語り部などと同様)調査研究的なアプローチは市民団体にとっても今後ますます重要になる」と話す。
  センターでは今夏初めて「夏休みおやこ平和教室」を開催。15日まで連日、空襲体験者らによる紙芝居や市内の戦争遺跡巡りをしていて、多くの親子連れが訪れている。10日に自らの経験を話した高須陽子さん(72)=静岡市葵区=は「戦争とは兵士だけでなく、戦場にいない子供たちもずっと引きずるもの。絶対にいけない」と訴えた。土居さんは「今後も多様なアプローチで静岡大空襲を語り継ぎたい」と抱負を語った。

<メモ> 「静岡平和資料館をつくる会」の会員は230人余り。1988年、静岡大空襲の史料などを展示する公設施設の設置を目指し「静岡・平和資料館の設立をすすめる市民の会」として発足した。96年に現在の会の名称に改称した。
  「静岡平和資料センター」は同会が93年に開設し、2008年に静岡市葵区伝馬町の雑居ビル2階の現在地に移った。現在、同会が市教委から年間360万円の補助金を受けて運営している。通常は毎週金~日曜日(午前10時~午後4時半)の3日間、開館している。
  空襲経験者の体験画や、大空襲で投下された焼夷(しょうい)弾の破片などの実物を見ることができる。その他、市民から寄贈された貴重な史料約5500点を収蔵している。
  センターを運営する50人程度のボランティアの中心は60~80代で高齢化も会の重要な課題となっている。

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