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第三章 鎌倉殿⑥【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】

 これが、その後おおよそ八百五十年の長きにわたり、維盛[これもり]が嘲笑され続けることになる、「水鳥の羽音で総崩れとなった富士川の戦い」の顛末[てんまつ]である。
 頼朝[よりとも]は、憐[あわ]れな、と維盛にわずかに同情した。だが、これこそが「時の勢い」というものなのだ。平家は官軍を名乗ってさえ、すでに味方となる者が少ない。その事実を、都以東に晒[さら]してしまった。
 (平家は滅びる。そして、源家の世が来る)
 頼朝は、確かな予感に、ぶるりと身震いをした。この「時の勢い」を、もっと確かなものとするため、少々無理をしても追撃すべきだ。
 (このまま都まで駆け上がれるのではないか)
 逸[はや]る心で頼朝は、ただちに諸将を招集した。
 「これより平家を追撃し、西上する」
 ざわめきが起こるか、あるいは活気づくか。いずれの反応を見せるだろうかと、頼朝は皆の顔に視線を流す。
 案に相違し、そのどちらでも無い。しんと場が恐ろしいまでに静まり返る。
 (なんだ、この反応は)
 沈黙の不気味さに、頼朝はわずかに背に寒気を覚えた。
 (どうしたというのだ。なぜ誰も何も言わぬ)
 嫌な汗が流れるのに十分な沈黙のあと、
 「なりませぬ」
 口を開いたのは、上総広常[かずさひろつね]だ。すぐに、千葉常胤[つねたね]と三浦義澄[よしずみ]がうなずく。
 この三人に同時に背かれれば、頼朝軍は瓦解[がかい]する。
 ほんの先刻まで順調にことが運んでいたというのに、突然、事態が暗転した。
 (なぜだ。いや、取り乱してはならぬ)
 頼朝の握り込んだ掌[てのひら]が、べったりと汗に濡れる。
 いったい、何が起こっているのか。
 ただ、対応を間違えると、己はここで終わるということだけは頼朝にも分かった。
 「理由を聞こう」
 「常陸[ひたち]国の佐竹を筆頭に、未だ臣従していない者は多うござれば、先に佐竹攻めを行い、東国を平定すべきは自明の理。このまま上洛などすれば、空き家となった坂東は、あっさり横取りされてしまいましょうぞ」
 広常の主張に、常胤と義澄がやはり同意した。何を勘違いしているのだ、と言いたげな空気が漂う。
 「我ら三氏がおらねば、何もなしえぬ男が」
 とその顔に書いてある。
(秋山香乃/山田ケンジ・画)

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