テーマ : 連載小説 頼朝

第三章 鎌倉殿⑤【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】

 黄瀬川に集まった頼朝[よりとも]勢の中には、ここまできて先陣争いに加われないことを、不満に思う者もずいぶんいた。

 空気がひりついている。
 戦が始まり、武田勢が次々と手柄を挙げ始めれば、どれだけの武将がじっとしていることができるだろうか。
 (果たして抑え込むことができるのか。全軍の将としての資質を試されることになろう)
 頼朝はわずかに身構えながら、気を張っていた。
 二十日の夜。宿所で寝ているところを盛長[もりなが]に叩[たた]き起こされた。
 「平家軍、敗走」
 との言葉に、頼朝は耳を疑う。
 「どういうことだ。何があった」
 「はっきりとしたことは未[いま]だ何も……。されど、聞いた話によれば、夜陰の中で沼から一斉に飛び立った水鳥の音を、平家方が敵襲と間違え、われ先にと逃げ出した模様でございます」
 頼朝は眉間に皺[しわ]を寄せる。
 「水鳥に驚いて自滅しただと。そんな馬鹿なことがあるのか。もう一度よく調べてこい」
 「はっ」
 盛長が情報をかき集めに行っている間に、いつでも武将らの前に出られるよう、頼朝は素早く鎧[よろい]を身に着けた。
 ちょうどそのころ、敵地に潜ませていた藤原邦通[くにみち]が急ぎ戻り、頼朝の前に姿を見せる。
 「待っていたぞ。何が起こったのだ」
 邦通の話は詳細だ。
 「小松少将(維盛[これもり])率いる平家方軍勢は、九月下旬に四千騎を率い、官軍として都を出陣いたしました。途中の道々で、人数と食料を調達しながら、最終的には数万の兵力となる予定でした」
 頼朝も最初はほとんど身一つだったが、安房[あわ]、上総[かずさ]、下総[しもうさ]、武蔵、相模、そして決戦の地に選んだ駿河へと進軍するにつれ、数万の軍勢に膨れ上がった。平家方も同じように東下するにつれて、錦の御旗の下に兵を集める計画だったのだ。
 ところが、と邦通は言う。
 「集まるどころか脱走が相次ぎ、富士川の西岸に着くころには総勢二千にまで減っていたのです」
 「何と」
 「それで昨日の軍議で、とうてい戦えまいという話になり、撤退をすでに決めておりました。夜の闇に紛れて、今まさに逃げようとしたとき、水鳥が飛び立ったのです」
 (秋山香乃・作/山田ケンジ・画)

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