第三章 鎌倉殿②【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】

十月十九日。
頼朝[よりとも]は、平維盛[これもり]を総大将とする平家の頼朝追討軍と対峙[たいじ]するため、三日前に鎌倉を出て駿河国黄瀬川まで進軍していた。
すでに武田勢や時政[ときまさ]、義時[よしとき]父子らも到着している。加藤光員[みつかず]、景廉[かげかど]兄弟も、石橋山の敗走後に甲斐に逃れ、時政や義時と合流していた。聞けば、思った以上に甲斐に逃れた者は多いようだ。
彼らは、武田勢に混ざり、駿河国目代橘遠茂[とおもち]を攻め、首級を上げていた。討ち取ったのは、光員だ。弟が山木兼隆[かねたか]の首を取ったことを合わせれば、加藤兄弟の働きは格別である。
流人時代、
「佐殿[すけどの]、平家の首が欲しくなったら言うてくだされよ。吾[われ]が取ってご覧にいれます」
景廉などはよくそんなことを言って、せり出した逞[たくま]しい胸を叩[たた]いていたが、真に言葉通りの活躍だ。頼朝は嬉[うれ]しかった。
だが、憂いもある。時政の話では、武田勢率いる武田信義[のぶよし]は、頼朝に敵対するつもりこそないが、今のところ臣従するつもりもないという。
(差し当たりそれで構わぬが、いずれ白黒つけねばなるまい)
数万の兵でごった返す黄瀬川宿に、駿河の豪族が次々と参向してくる。頼朝は幕内で、鎧直垂[よろいひたたれ]に小具足を身に着けた姿で、応対した。
ふと、人の波が途絶え、しばし時間が空いた。
「汗をお拭[ふ]きください」
冷たい水で濡らした手ぬぐいが、スッと目の前に差し出される。
今月から使っている乳母子[めのとご]の小山七郎宗朝[むねとも](後の結城の祖・朝光[ともみつ])だ。まだ十三歳の少年である。隅田川を渡る前に頼朝の乳母の寒河尼[さむかわのあま]が、「私の息子でございます。どうかお側近くに置いてくださいませ」と、頼朝の許[もと]に連れてきたのだ。
母に似て、整った顔立ちをしている。
「十三か。私の初陣の歳だな」
頼朝は快く引き受けた。
宗朝はまだ元服前だったので、その場で頼朝が烏帽子[えぼし]親となって、元服させた。あの日からずっと傍[そば]に置いている。
宗朝の差し出した濡れ手ぬぐいで顔を拭[ぬぐ]うと、それだけでずいぶんとさっぱりした気分になった。一息ついたのも束[つか]の間、すぐに天野遠景[とおかげ]が面会を求めてくる。
天野遠景は伊豆の押さえに置いておいたはずだ。それが何用で黄瀬川まで出てきたのだろう。横に控えていた時政も、首を傾げている。頼朝は訝[いぶか]しみながら、遠景を幕内に通した。
(秋山香乃/山田ケンジ・画)