第二章 決起㊳【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】

全成[ぜんじょう]は、頼朝[よりとも]に促されるまま語り始めた。
「平治の乱が起こったのは、七つを数える年でした。母は清盛[きよもり]の前に引き出され、私と二歳下の弟八郎(義円[ぎえん])は、それぞれ醍醐寺[だいごじ]と園城寺[おんじょうじ]に預けられました」
「叔父上も園城寺ゆえ、義円の話は少し聞いておる」
「はい。祐範[ゆうはん]様とわれらには、血の繋[つな]がりが無いというのに、兄上(頼朝)とのご縁で、ずいぶんと目をかけていただいたと、弟も感謝しております」
「九郎(義経[よしつね])は鞍馬[くらま]寺だったな」
「まだ生まれたばかりの赤子だったため、大蔵卿[おおくらきょう](一条長成[ながなり])に再嫁した母の許[もと]でしばらく育てられた後、鞍馬寺へ連れていかれたと伺うております」
「今は奥州にいるとか」
「詳しい経緯は知りませぬが、大蔵卿の従兄弟[いとこ](藤原基成[もとなり])が鎮守府将軍(秀衡[ひでひら])の舅[しゅうと]に当たられる縁で、とのこと」
「九郎の奥州行きは大蔵卿が噛[か]んでいるのか」
(鞍馬寺を脱走したと聞いていたが、養父長成が手引きしたのかもしれないな)
それなら、義経が平泉で秀衡に大事に扱われているという噂[うわさ]もうなずける。
「裏の事情はしかとは分かりませぬ。大蔵卿とは会[お]うたこともござらぬゆえ」
全成、義円、義経ら三人の母の常盤[ときわ]御前は、しばらく清盛にもてあそばれたが、その間に物心のつく上の二人は寺に送られたのだ。まだ赤ん坊の義経だけが、母の手元に残され、常盤御前の次の嫁ぎ先にも連れられていった。長成の養子になったのは、義経だけである。
「九郎とのやり取りはないのか」
全成は首を左右に振った。兄弟とはいえ、縁は希薄なようだ。
「会いたいか」
「それはまあ。この手に抱いたこともある弟でございます」
それ以上、頼朝が質問をしなかったので、全成は平家の残党狩りの目をかいくぐり、どうやって生きながらえて下総[しもうさ]まで来たのかを、語り出した。
「実は、箱根の山で、偶然にも佐々木兄弟と会うたのです」
頼朝の鼓動がどくりと鳴った。
「佐々木兄弟だと」
何という意外な名だ。石橋山で別れて以降、ずっと佐々木兄弟の安否が気になっていた。頼朝挙兵の第一矢を放った者こそ、佐々木経高[つねたか]なのだ。
(そうか、生きていたか)
(秋山香乃/山田ケンジ・画)