第二章 決起㊲【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】

広常[ひろつね]の時とは違い、頼朝[よりとも]は訪ねてきた一人の僧兵を、鷺沼[さぎぬま]の宿所の方に親しく招き入れた。人払いをして、二人きりになる。
僧兵は、頼朝をじっと見つめると、じわりと涙を浮かべ、感慨無量と言いたげに、
「兄上……」
と頼朝のことを呼んだ。
六歳下の異母弟だ。幼名今若丸[いまわかまる]、醍醐寺[だいごじ]に預けられて出家し、今は全成[ぜんじょう]と名乗っている。
頼朝は内心ひどく戸惑った。「兄上」と呼ばれたところで、これまで一度も会ったことのない弟だ。全成の母は、義経[よしつね]と同じ常盤[ときわ]御前である。身分が低いため、仮に平和な時代が続いていても、嫡男の頼朝とはさほど親しく交わることなどなかっただろう。
だが、こんな境遇になると、かえって愛[いと]おしく感じるものなのかもしれない。無防備に、咽[むせ]ぶように泣き始めた全成が、少しずついじらしく思えてくる。
「よく……来てくれた」
頼朝は兄らしい言葉を掛けてみた。
(弟か……私にとって弟とは、四郎や五郎のことだ)
四郎は平治の乱で亡くなった。五郎は土佐に配流となった。今はどうしているのか。
叔父の祐範[ゆうはん]が生きていたころは、
「五郎も土佐でなんとか頑張って生きているようだぞ」
と何度か文にその名を綴[つづ]ってくれた。だが、祐範亡き今は、消息も知りようがない。
年齢は、全成の一つ上だ。生きていれば、二十九歳。全成のように立派な大人になっていることだろう。
(五郎……会いたいものだ……)
そう思うにつけ、今まで縁が無かったが、こうして世が代わり、自分を兄と慕って訪ねてきてくれたのなら、全成のことも可愛[かわい]がってよいのではないかという気になる。
「高倉[たかくら]宮様の令旨[りょうじ]の話を伺い、寺を抜けて参りました。箱根まで来たところで石橋山の戦いが始まり、恥ずかしながら間に合わず……」
思いもしなかったことを全成が言う。
「そうか。駆け付けてくれていたのだな。落ち武者狩りに巻き込まれずに、無事で良かった」
頼朝の労り[いたわ]の言葉に、全成は声を詰まらせた。
「か、かような温かきお言葉を、掛けていただけるなど……お……もいもよらず……今日という日を一生忘れませぬ」
「お前の話を聞かせてくれ。この二十年を、どうやって生きてきたのだ。いかにして、ここまで辿[たど]り着いた。この兄に教えてくれ」
(秋山香乃・作/山田ケンジ・画)