第二章 決起㉛【夕刊小説・頼朝 陰の如く、雷霆の如し】

幼少期にどれほど親しく接していても、乳母子[めのとご]の山内首藤経俊[やまのうちすどうつねとし]のように裏切る輩[やから]もいる。
経俊は、石橋山の戦いに大庭景親[かげちか]の傘下として参戦しただけでなく、頼朝[よりとも]の首を狙って直に弓を射た。自分でもどうかしていると思うほどの執念だが、頼朝は経俊の射た矢が刺さる鎧[よろい]を、刺さったままの状態で、配下の者に房州まで運ばせてある。
「矢も抜かず、これをどうなさるおつもりですか」
人の良い盛長[もりなが]が心底不思議そうな顔で訊[たず]ねてきたが、頼朝はフッと笑っただけで答えなかった。
再起した後、経俊を捕らえ、その鎧を見せながら処刑するつもりでいるなど、口にすれば盛長は唖然[あぜん]とするに違いない。
(経俊は、ただでは殺さぬ。皆の者への見せしめにするのだ)
どす黒い感情だが、直[じか]に殺されかけたのだ。
安西三郎景益[かげます]も、かつては毎日共に過ごした仲だが、あっさり裏切るかもしれない。この二十年のうち、幾度となく文のやり取りは続けてきた。文面の感触では、今も頼朝を慕っているように感じ取れる。が、果たして、どうか。
頼朝は書状で、景益がこれから成すべきことを命じた。
まずは、令旨[りょうじ]を根拠に近隣の在庁官人に呼び掛け、引き連れてただちに馳[は]せ参じること。次に、その途上で、平家の息のかかる役人をことごとく捕えること。
中央からの官人を捕らえ、国府を配下に置くことで、房総の支配を固めるつもりでいる。すべての正当性は以仁王[もちひとおう]の令旨である。実はこの令旨が、「正式な令旨の体」を成していないことに気付いていたが、構わなかった。頼朝は、これを徹底的に利用するつもりだ。
他にも、下野[しもつけ]、下総[しもうさ]、武蔵の有力な豪族に呼び掛け、誘い合わせて源氏の白旗の下に集うよう、あちらこちらに書状を飛ばした。もし、日和見をする者がいても、千葉氏と上総[かずさ]氏が加担すれば、こちらへ靡[なび]くことだろう。
九月三日、上陸した猟嶋でできる全てのことを終え、頼朝は上総広常[ひろつね]のいる東上総を目指し、出立した。
だが、この日の夕刻、止宿した頼朝一行の襲撃を、企[たくら]んだ者がいる。この地の豪族で、三浦氏と長年にわたって領土争いを続けてきた長狭[ながさ]氏だ。
事前に察知した義澄[よしずみ]ら三浦党の逆襲によって、長狭氏はあっけなく撃破された。