第二章 決起㉘【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】

月が替わり九月になった。走湯権現[そうとうごんげん]に逃げ込む頼朝[よりとも]残党が後を絶たぬため、平家の探索に備え、朝日[あさひ]御前たちは近くの郷へ居を移した。ちょうどその日に、一人の男が訪ねてきたのだ。男は土肥弥太郎遠平[どひやたろうとおひら]で、朝日御前とも顔見知りだ。
「おや、御台[みだい]様は、今日は女の形[なり]をしてますな」
おどけた口調でからかった。遠平の明るさから察し、
「佐殿[すけどの]は、ご無事なのですね」
高鳴る胸を押さえ、朝日御前が訊[き]く。
「ご無事でございますとも。心配しているだろうから早く御台様に知らせてほしいと、真鶴岬から房州へ向かう舟に乗る際、この弥太郎をこちらへ遣わしたのです」
頼朝と会える日まで泣くまいと決めていたのに、朝日御前の目に涙が溢[あふ]れた。
「今までで、一番嬉[うれ]しい知らせです」
「それはもう、吾[われ]も参った甲斐がありました」
自然と二人の顔に笑みが浮かぶ。泣き笑いだ。
「佐殿は気落ちしてはいませんでしたか」
「いえいえ。房総で千葉殿や上総[かずさ]殿、そして今度こそは三浦殿たちと合流すればたちまち人数も膨れ上がるのだからと、少しもへこたれた様子はございませぬ。それに、戦の最中、大庭方に表向きは味方しているように見せかけながら、あの負け戦の最中に源氏方に寝返る者も一人二人ではなく、幾人かいたのでございます。追い風はわれらに吹いております」
良かったと、朝日御前は涙を拭った。が、後から後から流れてくる。
「どうしてしまったのでしょう、私……」
恥ずかしくなって、顔が熱い。遠平は嬉しそうだ。
「佐殿はあんな人数差の戦の最中でも冷静で、二日目の戦いではお手持ちの矢が尽きるまで自ら弓を使われましたが、これが驚いたことに百発百中で、沸き立つわれらの前で、あくまで淡々と放つのですよ」
遠平はその時の頼朝の様子を演じてみせた。それがよく似ている。ひとしきり笑ったあと、
「父上や兄上らはご無事でしょうか」
朝日御前は、一向に遠平の口に上らぬ肉親の安否について訊ねた。たちまち、遠平の顔が曇る。朝日御前の胸がぎゅっと痛んだ。
遠平が姿勢を正す。
「父君と四郎殿はご無事です。されど、兄君は、見事景親[かげちか]本隊を引き付け、みなを逃がした後、討ち死になされた由」
(秋山香乃/山田ケンジ・画)