島田大祭・帯まつり 花形大奴、記者が体験【わたしの街から】

 島田市の中心部を華やかな時代絵巻で彩る「第110回島田大祭・帯まつり」(島田大祭保存振興会主催、10月8~10日)まで100日を切った。新型コロナウイルス禍、人口減少による担い手不足という課題に直面しつつも、関係者は3年に1度の開催に向けて準備に奔走している。約330年の歴史がある祭りの一端に触れてみたい-。そんな思いで、大名行列の花形として知られる「大奴(おおやっこ)」の衣装の着付けを体験させてもらった。

大奴に変身した池田悠太郎記者(右)と大ベテランの綾部政美さん=島田市内
大奴に変身した池田悠太郎記者(右)と大ベテランの綾部政美さん=島田市内


 島田大祭は、洪水で大井川上流から流れ着いた大井神社の神様が一時鎮座した元の境内(現在の御仮屋町)まで「里帰り」をする祭事。祭りの最終日、みこし渡御行列が大井神社と「御旅所」の約2キロ区間を往復する。大奴はみこしの警護役として川越し人足が担った山伏が始まりで、いつしか島田に嫁いだ女性の晴れ着姿のお披露目に代え、丸帯を太刀に飾って人々に披露するようになった-と伝えられる。

衣装30点、15キロ超


 島田市内で開かれた式典で大奴の舞がアトラクションとして披露された6月末に楽屋を訪ね、衣装に袖を通した。大奴の衣装は長さ約1・8メートルの木刀を含め約30点。着付けには10代の頃から祭りに関わるという弓岡宏司さん(79)ら「加世話(かせわ)」のサポートが欠かせない。
  photo02 体の前後で交差させた木刀を化粧帯で巻き、固定させていく
 まず、腹部にさらしを何重にも巻く。「こうしないとみみず腫れができちまうよ」と弓岡さん。木刀を帯で固定するためだ。濃紺のはんてん、金襴のまわしを身に着け、前後の下帯の間に2本の木刀を交差するように差し込むと、化粧帯を2人がかりで巻き付けた。

 華やかな丸帯を掛けた木刀の先に安産祈願の札を付け、かつらをかぶると一気に大奴らしくなった。約15~20キロという重さは何とか耐えられたが、支える帯の締め付け具合に驚いた。時間がたつと痛みが襲い、立ったり、座ったりを繰り返して何とか和らげた。 photo02 丸帯を掛けた木刀のつか部分には安産祈願の札が掛けられた  

独特の手足の振り


 25人で構成する大奴の最後尾を務める大ベテランの綾部政美さん(68)に基本の所作を学んだ。右手を高く上げて振り下ろし、ゆっくり進む独特の手足の振りはタイミングを計るのが難しく、一人前になるには相当の時間がかかりそうだ。

 「選手」と呼ばれる出演者は本番に向けて体力づくりや食事の節制に励み、年長者に教わりながら大奴に近づいていく。「本番も一緒にやるか」と綾部さんに声を掛けられ、緊張が一気に和らいだ。寡黙な大男というイメージだった大奴。中身は優しく明るい、そしてひたむきな“街の主役たち”だった。
  photo02 大奴の所作を体験する池田悠太郎記者  

「街」ごとに役割


 島田大祭の始まりは1695(元禄8)年とされる。1800年代には既にみこし行列や屋台、大名行列、鹿島踊りなど、順番は異なるものの現在と変わらない大行列が編成されていた。
  photo02 大名行列(左)とみこし渡御
 1キロ超に及ぶ行列の役割分担が、「街」と呼ばれる現在の本通1~7丁目や周辺町ではっきり決まっているのも特徴だ。大奴を含む先頭の大名行列は第七街、みこし渡御は新田町が担う。疫病退散などを祈願する第六街の鹿島踊りに続き、第一~第五街の屋台ではそれぞれ一流の長唄芸人が招かれ、地元の子どもによる上踊りや地踊りを奉納する。
  photo02 鹿島踊り(左)と屋台  

人手不足に危機感


 大規模な行列や豪華な衣装が島田大祭の魅力である一方、人手も資金の負担も大きく、人口減少や高齢化の波が関係者を悩ませている。大奴も引退が相次ぎ「今のままでは足りない状態」(島田帯祭保存会の茨猛会長)という。

 ことしは感染症対策も考慮し、開始時間を遅らせるなどの負担軽減策を検討中。島田大祭保存振興会の杉山高夫会長は「3年後に祭りをつなげることが使命。伝統やしきたりも時代に合わせて見直し、参加しやすい祭りに変えていかなければ」と言葉に力を込める。

 保存振興会は参加町の住民だけでなく、市内在住・在勤者を中心に広く祭りの参加を呼び掛けている。初めて子ども向けのポスターも制作し、今月から市内の小中学校に配布する。

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