第二章 決起㉔【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】

土肥実平[どひさねひら]の所領に着き、頼朝[よりとも]率いる三百騎は、三浦崎(三浦半島)方面に向かって相模湾沿いを北上した。三浦崎の入り口、鎌倉にほど近い鐙摺[あぶずり]館に結集した三浦氏も、すでに土肥に向かって早駆けしているらしい。
だが、頼朝勢が早川まで来た時、三浦勢より早く大庭景親[かげちか]率いる平家方軍勢が、一里(四キロ)ほど先の丸子川(酒匂[さかわ]川)の対岸に姿を現したと知らせが入った。このまま進軍しても踏みとどまっても、平地で大庭勢を迎え討たねばならなくなる。
向こうは三千、こちらは三百。寡兵で大軍に当たるには、狭隘[きょうあい]の地に誘い込むべきだが……。
頼朝は土肥荘から早川荘までの、内海(相模湾)を東に望む道のりを頭に思い描いた。今日、通ったばかりの道だ。
西側の山が海岸線近くまでせり出し、平野が扇の要に向かうように狭まる地形があった。石橋山だ。
頼朝はただちに石橋山まで軍を下げ、東西に走る谷を北に見下ろす位置に布陣した。自身の旗の上に以仁王[もちひとおう]の令旨[りょうじ]を掲げ、この源氏の軍が賊軍ではないことを指し示した。二十三日の早朝のことだ。
この高地で持ちこたえるうちに三浦勢が駆け付けられれば、大庭勢を挟み撃ちにできる。
だが、どこまでも天は頼朝に試練を与えたいらしい。大庭勢が渡河を終えた黄昏[たそがれ]時から地を抉[えぐ]るような雨が降り始め、まだ川を渡っていない三浦勢の応援なぞ期待できぬまま、一戦交えねばならなくなった。
平家方三千騎は時が経つほどに石橋山付近に到着し、大将の大庭景親は、谷を隔てた高地に本陣を構えた。
さらに、伊東からは祐親[すけちか]が到着し、頼朝の南方の背後を塞[ふさ]いだ。あれほど頼朝を慕い、かつては父に背いて命を救ってくれた祐清[すけきよ]も、今日は祐親に従い、敵軍の中にいる。
「佐殿[すけどの]、あれを」
三浦勢のいない中、この人数差をどう跳ね返すか軍議の最中、実平が丸子川の方を指さした。頼朝は振り返った。雨をものともせずに立ち上る炎に照らされ、滅紫[めっし]の煙が徐々に天を覆っていくのが見える。
丸子川対岸で、どこぞの館が燃えているのだ。
「あれは」
「しかとは申せませぬが、三浦党が丸子川の対岸に参じたのでは」
実平の声が弾む。
おお、と他の者どもも、北を望んだ。
(秋山香乃・作/山田ケンジ・画)