熱海土石流1年、現場は今 理不尽な悲劇、それでも前へ【残土の闇 警告・伊豆山㊱完/終章 めぐる7・3㊦ 】

 3日午前10時28分。あの大規模土石流の発生から丸1年が経過したことを告げるサイレンが熱海市内に鳴り響いた。最愛の人への追悼、理不尽な悲劇や進まない復興への怒り、そして地域再生への決意-。流された家の土台や泥がかぶったままの家屋が残る伊豆山地区の被災地には、土ぼこりを舞い上げるほどの強い風とともに、さまざまな人々の願いと誓いが渦巻いていた。

土石流で流された母・陽子さんの自宅跡に向かって手を合わせる瀬下雄史さん(手前)=3日午前、熱海市伊豆山
土石流で流された母・陽子さんの自宅跡に向かって手を合わせる瀬下雄史さん(手前)=3日午前、熱海市伊豆山
許可を得て立ち入り禁止区域に入る住民ら=3日午前、熱海市伊豆山
許可を得て立ち入り禁止区域に入る住民ら=3日午前、熱海市伊豆山
土石流で亡くなった母・笑子さんのことを思い、墓前で手を合わせる草柳孝幸さん=3日午前、熱海市伊豆山
土石流で亡くなった母・笑子さんのことを思い、墓前で手を合わせる草柳孝幸さん=3日午前、熱海市伊豆山
土石流で流された母・陽子さんの自宅跡に向かって手を合わせる瀬下雄史さん(手前)=3日午前、熱海市伊豆山
許可を得て立ち入り禁止区域に入る住民ら=3日午前、熱海市伊豆山
土石流で亡くなった母・笑子さんのことを思い、墓前で手を合わせる草柳孝幸さん=3日午前、熱海市伊豆山

 「まだ気持ちの整理ができない」。跡形もなくなった母陽子さん=当時(77)=の自宅跡に向かって手を合わせた瀬下雄史さん(54)はそう言葉を絞り出した。
 逢初(あいぞめ)川源頭部に捨てられた大量の土砂にのみ込まれた母。その苦しみを想像するといたたまれなくなる。同時に、土砂を放置し続けた現旧土地所有者、その行為を止められなかった行政に対する怒りは日増しに高まる。「責任追及の闘いはこれからも続く」。自らに言い聞かせるように語った。
 同時刻-。約1キロ下流の伊豆山港では、斉藤栄市長と川勝平太知事が犠牲者に黙とうをささげていた。「二度と繰り返されてはいけない」。2人はそう声をそろえ、被災者の生活再建支援や現地の復旧を推進すると誓った。
 被災地では被害の象徴的な存在だった「赤いビル」(丸越酒店)が解体された。だが、それ以外は目に見える形で復旧や復興は進んでいない。
 丸越酒店跡付近の市消防団第4分団の詰め所は、直撃した土砂の跡が生々しく残ったまま1年を迎えた。サイレンの時間に合わせて団員約20人が詰め所付近に集まり、1列に並んで祈りをささげた。一木航太郎さん(22)はあの日、住民の避難誘導中に目の前で土石流を見た。「あの時の光景が何度も夢に出てきた。だけど、今は前を向きたい。これからもここで生きていくから」。力強くそう語り、仲間とともにいまだ行方不明になっている太田和子さんの捜索に向かった。
 被災地近くの墓地には、母親の笑子さん=当時(82)=を亡くした草柳孝幸さん(50)の姿があった。自宅が土砂に埋まり、行方が分からなくなった笑子さんの発見と早期復旧のために、自らダンプカーで土砂を運び続けた孝幸さん。遅々として進まない復旧復興へのいらだちを抑えながら「市長や知事の言葉は心に響かない。当事者にならないと分からないんだろうね」と淡々と語った。古里への帰還を望む長期避難者の願いをかなえてあげてほしい-。他の遺族や被災者を思いやりながら、母が好きだった炭酸のグレープジュースを墓前に供えた。たったひとりで。
     ◇
 「もう1年たったのか」。「まだ1年しかたっていない」。この日、被災地で出会った人々からは、どちらの声も聞かれた。伊豆山の“時”はあの日から止まったままなのか、それとも進んでいるのか、立場によって捉え方はさまざまだ。しかし、同じ思いが感じられた。「今の状況から抜け出したい」-。それを実現するために闘いはさらに続く。
 

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