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特集 : 熱海土石流災害

異なる境遇 擦れ違う思い 「分断」に苦しむ被災地【残土の闇 警告・伊豆山㉚/第6章 逢初川と共に①】

 “あの日”から、毎月3日は熱海市伊豆山にとって特別な日になった。土石流が流れ下った逢初(あいぞめ)川流域。地元住民や被災者らは犠牲者を悼み、悲劇が繰り返されないように祈る。しかし同時に、境遇が異なる人々の心理的な隔たりが浮き彫りになる日でもある。復旧復興を目指す上で乗り越えなければならない「分断」という障害に地域は直面している。

11回目の月命日に営まれた「被害者の会」の慰霊式。同時刻には、ほど近い場所で別団体の慰霊法要が行われた=3日、熱海市伊豆山
11回目の月命日に営まれた「被害者の会」の慰霊式。同時刻には、ほど近い場所で別団体の慰霊法要が行われた=3日、熱海市伊豆山

 11回目の月命日の6月3日。被災現場に近い寺院では、地元主要団体でつくる「熱海伊豆山で心をつなぐ集い」が発災時刻の午前10時半に合わせ慰霊法要を営んでいた。「被災者は今も大変な思いをしている。伊豆山の安心安全なまちづくりをお手伝いしたい」。参列者は決意を新たにした。
 同じ時刻-。200メートルほど離れた別の場所に遺族や被災者らでつくる「被害者の会」の有志が集まっていた。土石流で流された家の土台や、泥をかぶったままの家屋が残る現場に向かって被災者は手を合わせた。「時間はたったが、目に見える変化はない」。自宅を失った男性は荒廃した光景を恨めしそうに眺めた。
 今年2月以降、目と鼻の先の場所で両団体は別々に慰霊行事を営んでいる。人災への怒り、そして古里への思い。どちらも同じはずなのに、擦れ違い続ける。
 なぜか。市外の応急仮設住宅で暮らす被災者の男性(65)は「地元の情報が届きにくい。知らないうちに住民団体が設立され、被災者不在で物事を進めている。『自分はもう伊豆山の住民ではないのか』と悲しくなった」と打ち明ける。
 実際には「心をつなぐ集い」は設立後、伊豆山を離れて暮らす被災者に市を通じて案内文を送っていた。ただ、連絡用に避難先の住所などの提供に応じたのは約30軒にとどまる。大舘節生代表世話人(76)は「できれば一緒に法要を営みたい。会話を交わすことで絆が深まるはず」と願う。だが、分断が解消される兆しは今のところ見えない。
 被災者と行政の信頼関係も揺らいでいる。当初、避難所には職員が不眠不休で詰めたが、市長や幹部の姿はなかった。「一番苦しい時になぜ声を聞いてくれないのか」「私たちを避けているのか」。多くの被災者からそんな声が聞かれた。
 発災から約1カ月後、不満は爆発した。生活再建や住民が不安視する「第二の盛り土」に関する市の説明会。一部の被災者からこれまでの行政対応の不満が噴き出し、会は紛糾した。市経営企画部の中田吉則部長は「被災者の生々しい体験談を直接聞いたのはかなり時間がたってからだった。もっと避難所や地域に入るべきだった」と悔やむ。
 市や関係各所の連絡調整に奔走してきた伊豆山地区連合町内会長の当摩達夫さん(75)も「先の見えない不安が市への批判という形で噴出した。あの時期から伊豆山を離れた被災者と町内会の間にもすれ違いが生じてきた」と振り返る。
 行政と被災者のはざまで復興への道筋を探り続けた1年。「一人でも多くの避難者に戻ってきてほしい。その気持ちは変わらない。でもどうすればいいのか」
 当摩さんはまだ、出口を見いだせずにいる。
      ◇
 熱海市伊豆山を襲った大規模土石流は7月3日で発生から1年を迎える。復旧復興を願う声が日増しに高まる中、その流れに違和感を覚える人もいる。被災者や住民が願う地域の姿とは何か。被災地の今を追う。
 >警戒区域の内外で 帰るべきか自問の日々【残土の闇 警告・伊豆山㉛/第6章 逢初川と共に②】

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