第二章 決起⑰【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】

時政[ときまさ]は、ぽかんとした顔を頼朝[よりとも]に向けた。
「山木殿を何故[なにゆえ]」
平兼隆[かねたか]は、山木郷在住のため、山木殿と呼ばれている。
「山木郷は、北条荘と同じ田方郡にあり、目と鼻の先に位置する。遠征せずとも北条館を拠点に、吾[われ]が先手を打てる唯一の平家方だからだ。さらに比較的規模が小さく、不意を突いて援軍の来ぬ間に片を付けられれば、最初の一勝を掴[つか]めよう」
いざことが起こったときに、誰が味方して誰が敵に回るのか、この一月[ひとつき]ほどでだいたい見えてきた。頼朝の読みでは、ほとんどの者が最初の一戦では動かないということだ。みな、口では良いように言っても、実際は日和見に徹するだろう。
平治の乱で、父にすり寄ってきた者どもは、清盛[きよもり]が都入りしたとたん、一斉に背を向けた。頼朝に与[くみ]すると約束した者も、実際に大庭景親[かげちか]の三千の軍勢を前にすれば、素知らぬふりをするに違いない。
だから、いきなりぶつかるわけにいかず、まずは「頼朝は強い」という安心感を演出したい。目代[もくだい]の首を挙げたところで焼け石に水かもしれぬが、それでも手際よく勝利を掴めば、何もやらないよりは頼朝に付く者が増えるだろう。
淡い期待だが、最善だ。
何より、「攻めかかられたから応戦した」というのと、「頼朝自ら起[た]ち、平家に反旗を翻した」というのでは、雲泥の差がある。前者に付いてくる者はいない。後者なら……変わり者が付いてくるかもしれない。
はは、と時政は力なく笑った。
「山木殿も、目代になったばかりに気の毒ですな。就任してまだ一月ほどでしたか」
実父との諍[いさか]いで、一年半ほど前に伊豆に流されてきた流人だったが、今度の以仁王[もちひとおう]の一件で源頼政[よりまさ]に代わり伊豆の知行国主となった平時忠[ときただ]の旧知だった縁で、目代へと出世した。これが一月前のことだ。
目代にさえならねば、兼隆の首に価値はなかったのだから、襲撃対象となることもなかった。
兼隆が気の毒だと言いつつ、自身が一番気の毒だと、時政の顔は言いたげだ。吊[つ]り上がった眉もしょぼくれて見える。
そんな時政を見ていると、頼朝は段々と可笑[おか]しくなってきた。そもそも軍議の席に二人しかいないこと自体に、笑い出したいほどだったが、我慢していたのだ。ふっと一度吹き出してしまうと、後は止まらなくなって哄笑[こうしょう]した。笑うと何かが吹っ切れた。
(秋山香乃/山田ケンジ・画)