第二章 決起⑮【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】

三善康清[みよしやすきよ]が帰ると、頼朝[よりとも]の周囲はにわかに慌ただしくなった。
まずは時政[ときまさ]を呼び出す。以仁王[もちひとおう]の令旨[りょうじ]の際は、舅殿[しゅうと]への相談という形を取ったが、今回は違う。主君として自身が上座に着くことで、時政を家臣として扱った。
時政は頼朝のまとう空気の変化を敏感に察し、以後、態度も口調も、臣下の礼を尽くすようになった。頼朝は、時政という男の資質に満足した。
そのうえで、事態が暗転したことを淡々と告げる。
「佐殿[すけどの]の御心は決まっておいでか」
「うむ。これより迎え撃つ用意をいたす」
時政は目を閉じ、わずかに上を向く。三拍ほどの間、黙していたが、目を開くと「はっ」と頭を下げた。
頼朝は、小野田(安達)盛長[もりなが]と中原光家[みついえ]を源氏累代の御家人の許[もと]へ遣わし、頼朝の下へ参上するよう命じた。この段階で、挙兵のことはなお黙している。参向してきた者だけに、頼朝の口から直接伝えるためだ。そうはいっても、目的が分からぬ者などいないだろう。
半月ほどで回り終えて戻ってきた盛長らの報告によれば、一族惣領[そうりょう]としての突然の厳命に、「よくぞ」と従う者もいれば、正気なのかと訝[いぶか]しみながらも応じる者、逆に反発を示したり、鼻で笑ったりする者もいて、反応はばらばらだったという。
「波多野義常[はたのよしつね]、山内首藤経俊[やまのうちすどうつねとし]めは応じないばかりか、佐殿を散々罵倒する始末。けしからぬ者どもです」
盛長は憤慨しながら頼朝に訴える。波多野氏は次兄の母方の一族だが、義常はもとより父義朝[よしとも]と仲違いしていた。そのため、応じる可能性は低いと頼朝も予測していた。
だが、経俊は頼朝の乳母[めのと]子[ご]なのだ。頼朝より歳は十歳ほど上で、平治の乱が起こるまでは、よく遊んでくれていた。
(共に遊んだ者と殺し合うやもしれぬ明日が待っていようとは)
昔の自分は思いもしなかったことだ。優しかった経俊の母、乳母の山内尼の[やまのうちのあま]姿を、頼朝は頭の中でかき消した。
(情は捨てねばならぬ。あやつも、生き残るために、私への情は切り捨てたのだ)
この間にも、大番役で上洛していた相模介[さがみのすけ]三浦義明[よしあき]次男・義澄[よしずみ]と下総介[しもうさのすけ]千葉常胤[つねたね]六男・胤頼[たねより]が、任期を終えて戻ってくる途上、頼朝の許に立ち寄り、都の状況を伝えた。二人はことが起こったときは、一族共に参陣するよう、父を説得することを約束した。
(秋山香乃・作/山田ケンジ・画)