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第二章 決起⑪【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】

 「これは……」
 以仁王[もちひとおう]の令旨[りょうじ]に目を通すうちに、時政[ときまさ]は色を失っていく。視線は文末に至ったはずだが、しばらく令旨を睨[にら]みつけたまま、顔を上げようとはしなかった。
 処刑宣告されたような気分だろうと、頼朝[よりとも]は時政の心中を推し量った。娘と頼朝の婚姻を表立って認めたときから、いつか起[た]つ日が来ることを、時政にしても覚悟していたはずだ。が、いざとなると底なしの沼に沈むような恐ろしさが、ぞわぞわと這[は]い上がってくるのであろう。
 頼朝も怖い。だが、もし此度[こたび]に機が見えるなら、屈辱にまみれた一族の後継者として、頼朝個人が望もうと望むまいと、弓を引かずにいることは許されぬだろう。
 比して、時政は、本来なら何も背負わずとも生きられる身だ。正直、逃げ出したいのではないか。何より、北条氏は平氏なのだから、叛意[はんい]有りと頼朝を突き出せば、これからも平穏に暮らせるかもしれないのだ。時政はこのごろ、娘の朝日[あさひ]より若い妻、牧[まき]の方[かた]を娶[めと]ったばかりで、日々幸せそうだ。さぞ、心が揺れるだろう。
 それでも、頼朝は一番に時政に令旨を見せ、相談を持ちかけた。
 (ここで時政に背かれるようでは、誰も率いることなどできまい)
 出会って今日までの二十年間を懸けて、頼朝は今、時政の前に座している。
 時政が口を開くまでの時間を、頼朝は気の遠くなるような思いで待った。
 「佐殿[すけどの]は、いかがいたすつもりか」
 ようやく発した時政の声は、しゃがれていた。
 「高倉[たかくら]宮(以仁王)は、日本全国の源氏へ、平家討伐を御命じになるとのことゆえ、まずは各方面の情勢を正確に掴[つか]むために、四方へ人を遣わすつもりだ」
 そうは言うものの、頼朝に動かせる手駒はほとんどない。
 「人員は、北条家からも用意しよう」
 時政は察してうなずいた。頼朝がすぐにでも以仁王の呼び掛けに応じるわけではないと知って、少し安堵[あんど]したようだ。
 「いよいよ時が来たやもしれぬのに、佐殿は存外落ち着いているのだな」
 時政の言葉に、頼朝は笑みを作った。
 「長きにわたる雌伏[しふく]の歳月を、逸[はや]る心一つで無駄にはしたくないからな」
 (秋山香乃・作/山田ケンジ・画)

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