テーマ : 連載小説 頼朝

第二章 決起⑩【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】

 頼朝[よりとも]は水干[すいかん]姿で源行家[ゆきいえ]の前に出た。以仁王[もちひとおう](高倉宮)の令旨[りょうじ]を持ってきたというので、内心はひどく動揺している。
 (高倉宮が、流人に何の用があるというのだ。それに令旨とはいったい……)
 頼朝は、何か突飛な印象を受けた。以仁王という名に、馴染[なじ]みがなかったためである。 以仁王は後白河[ごしらかわ]法皇の第三皇子だが、親王宣下は受けておらず、政[まつりごと]の表に名が上ることもなかった。頼朝が以仁王を重要人物と目したことなど、今日まで一度もなかったのだ。
 首を傾[かし]げる思いで、行家から令旨を受け取る。その前に、源義家[よしいえ]が元服した武神の地・石清水[いわしみず]八幡宮のある男山方面を向いて遥拝した。心を落ち着けたかったのだ。
 その場で令旨を開いた頼朝の手が、目で文字を追うごとに震え出す。要約すれば「平家を討て」との下命であった。さして暑くもないのに、汗が滴る。
 上座に座した行家の目に、こちらを見下すような色が仄[ほの]見えた。
 (こやつ、気に入らぬ)
 叔父とはいえ、行家はどこか信用ならぬ顔立ちをしている。挙兵は悲願でもあったが、以仁王からの命で起[た]つというのも、正直なところ気に入らない。
 令旨は有り難い。大義名分となるからだ。令旨を掲げている限り、頼朝の軍は私兵とはならない。だが、欲を言えば、幽閉された後白河法皇から戴[いただき]たかった。重みがまるで違うからだ。
 頼朝は一言も発さぬまま、令旨をたたんだ。
 行家はその場での返答などは一切求めず、
 「吾[われ]は他にも参らねばならぬゆえ、これにて」
 早々に北条荘を去った。
 一人になって、頼朝はもう一度、令旨を開いて中を見た。
 (本物なのか? 帝のご意思はどうなのだ。いずれにせよ、軽率に動いてはならぬ。平家を討てということなら、日本を割った長い戦になる。たとえ本物の令旨だったとして、源氏の嫡流のこの頼朝が、真っ先に駆け付けることに、どれほどの価値があろう。名の無い者は名を得るために、先陣を競わねばならぬだろうが、「源頼朝」の名には、それ自体に価値があるのだからな)
 頼朝は気持ちを落ち着け、心を固めてから北条館へ向かった。時政[ときまさ]に令旨を見せるためだ。
 (秋山香乃・作/山田ケンジ・画)

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